できちゃった革命

社会保障と税制の一体改革は、貧困世代を代表する湯浅誠、雨宮処凛(かりん)、赤木智弘に任せることにしました。菅よ、このくらいのことを発想しないでどうする。大衆の心をわしづかみにする政治とはそういうものだろう。まして、30年から50年後を視野に、持続可能なものをというなら、なおさらだ。与謝野経財相、藤井官房副長官の時代感覚で、旧制度の延長線上で考えるとしたら、大きな間違い。旧世代から見える風景と、貧困世代から見える風景はまったく違っている。貧困世代は現行年金制度の持続可能など誰も望んでいない。この冷酷な差別、格差をそのまま固定することに他ならないからだ。そんなことなら、早く財政破綻なり、国家破綻をしてしまえ!だ。すべてのリセットこそ、この世代は望んでいるといっていい。
 この世代間の深い断裂を直視することなく、論じてはならない。われわれ団塊世代も、認識を180度変えなければならない。今回はそんな視点で、貧困世代の声に耳を澄ませたい。
 新卒で就職できなければ、人生アウトという価値観。政治も、企業も、親も、友人も、誰も疑問に思わない。われ先に、椅子取りゲームに群がっている。みっともないよ。勝ち組に乗っかったからといって、それほどの乗り心地でもないし、どんな企業もいつどうなるかわからない。年金制度そのものが、踏み外したらお終いよ、じゃないか。
 また、味方みたいな素振りを見せる親も問題だよ。アルバイトに行く自分に弁当を差し出す母親の目はいつも「このままでいいの?」と訴えている。へこんでしまうよ。ひきこもりから、ようやくアルバイトができるようになったのに、次は正社員ね、と親の上昇志向は子供にとっては堪えられない。自分の子供だけはという思いでは、もっと悪くなるだけだ。
 必死に働いてやっと10万円ちょっと、退職した父の年金は20万円近い。おかしい気がする。40年近く汗水流して働いた結果だというが、今の職場の方がもっと厳しい。加えて、お前の努力不足、能力不足と見下げる振る舞い。高度成長に恵まれ、実力と関係なく、追い風だけで誰でもやれた時代ではなかったのか。年金も後年世代が負担する賦課方式だということを忘れて、威張ってやがる。
 もう居直るしかないよ。貧乏を楽しんでしまおう。働けない、生き辛いなどというのはもう個人レベルではどうすることもできないのだから。勝ち負けから降りて、とにかく貧乏をうけいれよう。こんなにも気持がらくになるという気分を味わおう。そして、そんな仲間で集ろう。部屋なんかもシェアして、「何でもお手伝い屋」とかのNPOを作って食い扶持だけは稼ごう。国にも頼らず、家族にも頼らず、金にも頼らない。
 ざっとこんな具合であろうか。でも、これはある意味、革命である。赤旗が振られ、革命歌がどよめき、激しいデモなどもなくて、静かに別のシステムが動き出している。投票にも行かないし、税金も納めないし、年金なども完全に無視する若者達がある種の解放区をつくりだそうとしているのだ。そこでは、若々しい笑い声が絶えず、うつ病や対人恐怖症なんかとは無縁である。私有財産もなく、みんなで分け合っている。婚活とかしなくても、時間がたっぷりあるので出会いに不自由することもなく、親もいないので世間体も気にすることなく、格段に出生率も高い。これではできちゃった婚ではなく、「できちゃった革命」ということになるのかもしれない。必要に応じて配分される。搾取も、収奪もない。そういえば、われらが世代もこんな清き国に憧れを持ったのではなかったのか。
 60年余り生きてきて、いまだに練磨された世界観、歴史観を持ち得ないというのは情けないことである。
 参照/「世界」2月号

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