少子化と大学改革

 夏休みといえばラジオ体操だが、この夏見ることは無かった。少子化現象のひとつかもしれない。23年の出生数が72万7277人と聞いた時は驚いた。団塊世代が生まれた47年は270万人だった。団塊ジュニアのピークは73年で210万人、75年に200万人を割り込み、毎年減少し続けている。一方で、23年の死者数は159万人で過去最高を記録し、人口は87万人減少した。ほぼ佐賀県に匹敵する人口が消えたことになる。この勢いを止めることはできない。

 この現象を大学に与える影響ということで愚考してみた。現在の大学進学率はほぼ50%、定員は約50万人。23年に生まれた72万人が18年後に大学進学を迎える。進学率がそのままだと定員割れは16万人に及ぶ。富山では高岡法科大学がこの4月に閉校を決めた。全国の私立大学の53%が定員に達していない現状からすると多くは生き残れない。

 その一方で、東大が授業料の値上げを発表した。今より約11万円引き上げ、国が定める上限の64万2960円となる。少子化で大学の存続が危ういのに、なぜ授業料を上げるのか。東大の競争力はそれでも揺るがないという奢りか、文科省の思惑に迎合しているのか。他の国公立大学も追随することは間違いない。

 もうひとつ嫌なデータがある。国立大学は家庭の経済状況に余裕がある学生が相対的に多く、奨学金受給割合も、国立より私立の方が多くなっている。親の収入と子供の学力が比例する傾向で、東大生の親の半数は世帯年収950万円以上という説もある。

 問題を、国立対私立という具合に矮小化しては何ら解決にならない。日本の大学の特徴は私費負担が67%と、OECDの平均31%を大きく上回り、大学生の79%が私立大学で学んでいる。戦後の高度成長は高学歴高収入という幻想を与え、子どもの学費負担もやむ無しとなった。それに乗じて政府は公的支出を抑えて、私立大学を増やし、私費負担を徹底してきた結果である。乏しい大学の国際競争力は衰退する一方である。

 しかし、見方を変えてこの少子化をひとり当たりの教育投資を格段に充実させる好機と考えたらどうだろうか。従来の本務教員一人当たりの学生数を減らし、マスプロ的教育をやめ、学生の個性能力を見極めて、多彩な人材を輩出する。文部大臣は前川喜平になってもらい、従来の教育観、学校観を大転換する。

 国連は格段に人権意識が向上して、高等教育を無償化し、能力に応じ、すべての者に均等に学ぶ機会を与えよと提言している。教育は受益者だけでなく、社会経済全体の便益になることははっきりしている。教育への投資こそ、未来を約束するといっていい。

 さて、自民党総裁選では教育が語られることはない。別の日に論を譲るが、方向転換に舵を切るためには自民党文教族を一掃するしかない。森、萩生田、下村博文など下劣な名前が並ぶ。

 

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