「夜と霧」への旅

あの名著「夜と霧」が、東北の被災地で売れ続けているという。朝日新聞連載の「プロメテウスの罠」を読んでいると、賠償が全く進まず孤立感のみが深まる仮設住宅の状況は、ナチスの強制収容所での絶望と変わりないのか、とさえ思えてくる。そんな被災者が、それでも生きていかねばならない、と思い直す何かを、この本はもっているのだろう。「人間は誰しも心のなかにアウシュヴィッツを持っている。でも、あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに期待することはやめない」。
 「フランクル『夜と霧』への旅」(平凡社)だが、昨年暮れに求めていたがついつい積んでおいていた。朝日新聞編集委員である河原理子が翻訳者、出版人、研究者、読者たち、そして収容所跡やゆかりの人々を訪ね、まとめたもの。11年春、朝日新聞で「ニッポン人脈記 生きること」として連載もしている。
 老人が初めてこの本を手にしたのは67年で、21歳の時であった。収容所の広場を全裸で走らされるユダヤ人の女性たちの写真に衝撃を受けた。翻訳の霜山徳爾は53年西ドイツに留学した時に偶然本屋で見つけた。書名は「一心理学者の強制収容所体験」で、鹿児島県鹿屋で特攻を見送った霜山の心を揺さぶった。どうしても著者に会いたいとウィーンにフランクルを訪ねている。フランクルは数日のウィーン滞在のあらゆる便宜を計ってくれ、暖かくもてなしてくれた。帰国してからの礼状に翻訳権をいただきたいと申し入れたのである。
 そこに登場するのが、名編集長・みすず書房の小尾俊人(おび・としと)。地味な哲学書をどう売り出すか、小尾の知恵と才覚がなければ、ここまで影響力のある本とはならなかった。まず書名をナチスの作戦名をもじった映画「夜と霧」に代え、その残虐を糾弾する怒りに満ちた解説を加え、写真と図版を載せて強烈なものに仕立て上げた。56年に定価250円で発売、大ベストセラーとなった。02年、高校生にも読ませたいと新訳本が出版され、新旧合わせて100万部を超えている。
 浦河べてるの家も、この本とは無縁ではない。これを立ち上げたソーシャルワーカーの向谷地生良(むかいやち・いくよし)は、「にもかかわらず生きる」の一言にこれだと反応して、手がかりを得た。また、TBSのキャスターであった斉藤道雄は、オーム真理教の教団幹部に放送前のビデオを見せていた事件でひとり謝罪し、社内で孤立していた時に、精神障害者の取材を通してべてるの家に辿りつく。力作「悩む力 べてるの家の人びと」に通底するのはフランクルである。
 詩人・石原吉郎はシベリアに抑留され、8年間の強制労働キャンプを経験して帰国した。「すなわち最もよき人びとは帰っては来なかった」。収容所では、生存競争の中で良心を失い、暴力も、仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。「夜と霧」のこの一節を疼くような思いで読んだという。そして、何よりも心を打ったのは、フランクル自身が被害者意識から切れていて、告発を断念することによって強制収容所体験の悲惨さを明晰に語りえていることだった。私はながい混迷の中から、かろうじて一歩を踏み出すことができた、と結ぶ
 心療内科医の永田勝太郎は、06年にフランクル大賞に選ばれている。「私はいま、医者をやめるか人間をやめるかの瀬戸際に立っています」とフランクルに手紙を書き、「ウィーンにいらっしゃい。国立歌劇場の隣にあるブリストルホテルに着いたら、電話しない」という返事をもらって駆けつけ、長い付き合いが始まった。フランクルの闊達な人格に救われたひとりである。
 もうひとつ、ロゴセラピーだ。フランクルが始めた心理療法で、人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで心の病を癒す。もっと普及していいと思う。
 はてさて、67歳の老人にも、人生は期待しているのであろうか。どうもあやしい。

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