覇王別姫

10年前のこと。東京で凄い人気だと聞き、いつかはと思っていたら、高岡ピカデリーで上映するという。午前10時の開演に間に合わせるべく車を走らせ息せき切ってはいったのに、何と客は自分だけ。一番後ろの真ん中の席で、マイホームシアターである。館主の心意気に応えない富山県民のアホたれめ、と何となく申し訳ない気持ちだった。「さらば、わが愛―覇王別姫―」1993年にできた3時間の大作映画である。

「はおう・べっき」と呼ぶ。覇王とは楚の英雄、項羽。別姫はその妻、虞。そう、あの虞美人である。敵軍に追い詰められ、四面楚歌の中で残された二人、別姫は項羽の剣を持って最後の舞を踊り、その剣で自らの胸を刺し通す。覇王はそれでも敵と最後まで剣を交え、力尽きる。これは京劇のナンバー1の演目。

ストーリーは1925年の北京から始まる。京劇養成所はほとんどが孤児や貧民の子どもたちの寄宿舎。後に人気俳優となり、覇王と別姫を演じることになるふたりが出会う。別姫をやる小豆子は娼婦の子で、ここに捨てられる。女役を演じるその弱さから、皆からいじめられる。それをかばったのが覇王をやる小石頭。殴られ、蹴飛ばされての厳しい訓練に耐え、ふたりは成長する。京劇界の大物袁四爺に認められたこともあり、一躍スターに。小豆子は同性ながら小石頭を愛するようになる。一方、人気スターになった小石頭は舞い上がって娼館にいりびたり、そこの菊仙と結婚の約束をする。その3人のもつれからドラマは暗転し、また歴史の大きな渦の中で翻弄されていく。日本の侵略、内戦、人民共和国の出現、そして文化大革命。3人の中で愛憎を大きく変転し、ついに菊仙は自殺をし、小頭子はアヘンにおぼれ、京劇にもっとも必要な声を失い、最後は別姫同様に剣を胸に突き刺し、息絶える。 この時小頭子を演じたのが張國栄 レスリー・チャン。香港の人気ナンバー1の俳優であり、歌手としても頂点に上り詰めていた。ところが今年の4月1日、香港のマンダリン・オリエンタルホテルから飛び降り自殺をしてしまう。46歳であった。

そして、これを悼んだ金沢シネモンドがレスリー・チャン追悼特集を企画したのである。そのお陰で10年ぶりに「覇王別姫」を再び見ることができた。ありがたし。

ところが、こんな自堕落な加賀エセ文化生活を送っている小生に突きつける3巻が出現した。衝撃だった。「磁力と重力の発見」上中下巻。物理学書だ。古代ギリシャ哲学から17世紀の万有引力概念の成立まで、1千年余の科学史の空白を埋める世界的水準のもの。著者は山本義隆氏。あの元東大全共闘議長である。大学を潔く去り、すべての特権を捨て、予備校で物理を教えながら、30年間にわたって彼は人知れず、一物理学徒として積み重ねていたのである。「若者たちの理科離れも進み、科学は危機のふちにある。この書から、科学や科学史を志す新しい世代が生まれてほしい」と。

教授になりました、次に学術会議会員になりました、文化功労賞をもらいました、もうあと一歩です。こんな山本義隆であったら、どうだろうか。わが後輩で東大に学び、学生運動で傷つき、世に受けられないまま、母親の庇護のもとに隠遁なる生活を送り、先日亡くなった男がいる。射水線での通学途上、よく話したものである。ひ弱といってしまえばそれまでだが、世の中には自ずと責任というものがある。口からでたらめの扇動で人は動くと思わないが、真摯に語りかけ、人を動かしたならば、それなりに責任がつきまとうのである。この潔さ、運動への責任の取り方、厳しく自己の倫理を貫く姿勢。聞いているのか、小泉純一郎。司馬遼太郎だけではわからない世界があるのだ。

予備校生諸君、そして予備校教師諸君。加えて予備校生を持つ父兄の皆さん。卑下することはない。山本義隆に学び、山本義隆を目指そう。予備校の授業料を快く払いましょう。日本の科学のために。

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