俵万智「弟の結婚」。姉と弟について

にかく若き女流歌人の歌を鑑賞されたい。

軽井沢の空気ひんやり深まりてもうそこにある弟の結婚
子ねずみの衣装をつけた弟を追いかけていた夕陽の向こう
ガンダムの人形ねだる弟は十歳下にして小学生
「生まれたよ」と父親の声はずみつつ五月の朝に弟が来た
ひげづらの高校生となりにけり荻野目洋子ファンの弟
「いい感じの彼女ね」と言い「そう言ってくれると僕も嬉しい」と言い
ためらわず妻の名前を呼び捨てる弟に流れはじめる時間
X-メンの試写会終り「それじゃ」と弟が帰る新しき家

(俳句現代1月号 
俵万智「新春を詠む」から)

姉と弟の組み合わせの不思議さ。そんなことを思いながら俵万智の短歌を眺めている。弟は10歳下。わが姉弟もその組み合わせ。姉というのは弟をこんな風にみているのか。

どちらかというと母親の分身めく。口うるさいと思う半面頼りにもなる。また実際頼りにもしている。

物心ついた時に呼んでいたのが「たあた」。宮中用語に聞こえるかもしれないが、郷里新湊では誰もが。これが「ねえちゃん」に変わるきっかけは、友達の手前。小学校の友達が遊びに来た時、いままで照れくさかったのにふいと口に出る。口が勝手に呼んだという感じ。中学高校は「ねえちゃん」と「姉貴」のチャンポン。

小学6年の時、東京遊学の姉からの手紙で、麻布、開成の難関受験中学校の名前を覚えた。大学受験はみんな姉の友達のアパート、身元保証人も然り。

いまはわが89歳、86歳の両親をみてもらっている。頭が上がらないどころではない。姉に万一の時は老老介護のために仕事も放棄せねばならないと覚悟している。

弟よ、ではない。姉よ、君死にたもうことなかれ、である。

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