33年前のはがきが当時の日記に挟まれて出てきた。わが連れ合いの長年の夢であった新居が富山の城山東麓に完成した時のものである。この4年後の1988年4月に他界した親友・林宏から、家族で新居を拝見したお礼が達意に綴られている。彼はこの時には既に胃がんの手術をし、術後順調に見えたが後楽園球場で巨人―中日戦を観戦中に腸閉塞を併発、救急車でたらい回しにされて埼玉の病院に担ぎ込まれた。そこを退院して、生活を立て直すべく浜松で病院を開業している兄貴を頼って、居も浜松に移していた。文面だが、「見せていただいた新居は素晴らしいの一語に尽きます。私も参考にと申したいところですが、現世ではかなわぬ事と覚悟しておりますので、方丈記の境地に共鳴せざるを得ません」とある。記憶は定かではないが、富山・五艘の実家に立ち寄る機会でもあり、是非にと招いたのかもしれない。余命を宣告されていた男にこれ見よがしに新居を見せる浅慮に痛恨の思いがする。つい思い立って日記の整理をしておこうとした矢先に、思いがけないはがきに衝撃を受けてしまった。しかし、こう考えることにしたい。
名古屋工業大から住友建設に職を得た林は、正義感の強い熱血派であった。建設現場では下請けの作業員とも酒を酌み交わし、ゼネコン側に非があれば本社とも本気で掛け合った。胃がんの手術後は退職を余儀なくされ、兄貴の病院手伝いで糊口をしのぐしかなかったが、自らは10年戦争と称して技術士試験に挑戦していた。自分を叱咤しながらも、息子二人にも厳しくあたったという奥さんの話を聞き、家族の行く末をどれほどの思いで心配していたか。最期までビール1本を欠かさなかったことを思えば、浜松へもっと足を運んでやればよかったと悔やまれる。そうであれば、遺されたものの使命というのは当然重い。慶大教授の金子勝も亡くなった友を思えばと自分を鼓舞している。身辺整理と称して隠遁を気取ることは卑怯といわねばなるまい。何よりも亡き林宏に申し訳が立たない。
というわけで、金子流のツイッターに倣って官僚の堕落に言及したい。忘れてならない出来事がある。2010年1月中旬、鳩山由紀夫首相が辺野古移設に反対する立場を明確にしていた時で、日本大使館とCSIS(戦略国際研究所)がワシントンで開いたシンポで日本側の官僚が「鳩山が馬鹿なんだ」と言い放った。行政の末端が自らのトップを罵倒したのである。ジャパンハンドラーを味方に付けて、日本の国益よりも米国益に寄り添うことで、権力が何にもできないと踏んだ外務官僚は首相にそっぽを向く状態にした。孤立無援となった鳩山は為す術がない。再び権力を手にしたアベは官僚を意のままに動かそうと官邸が人事権をしっかりと握った。実態はそう単純ではないと思うが、それが今に続く。政治にひれ伏す官僚では、ブレーキ役が存在しない。日米同盟を金科玉条にして、すべて外交はワシントンで決まる。防衛省も然り。自衛隊を指揮するのは誰かと問われて、多分米軍指揮官と答えても不思議に思わない。北朝鮮、中国の脅威に怯えさせつつ、防衛予算がトランプ政権下で増大することは当然と思われ、自衛隊および日本の防衛設備は米軍の指揮のもとに動く傭兵傀儡軍に成り下がっていく。通産官僚はどうか。東芝のWH買収のシナリオを描き、そそのかしたのは通産で、電力業界も意のままに動かし再稼働に狂奔させている。文科省は天下りで甘い汁を飲みながら、教育勅語のもと臣民教育で右翼文教族の歓心を買おうとしている。財務省も昔日のしたたかさはなく、政治家への忖度だけで動いている。政治家は自ら手を汚さずに、政治にひれ伏した官僚が忖度だけで動いている。見たくもない現実であるがそのように動いている。
しかし、抗議の声を挙げ続けなければならない。警鐘を鳴らし続けねばならない。韓国大統領選もくせ球になって変化のきっかけになるかもしれない。
官僚の堕落