ゆびもじあぷり

 小学4年生がプログラミング全国大会で優勝の報に驚いた(朝日新聞5月6日朝刊)。しかも見出しが「蛍舞う大分市の山あいの集落に暮らし、全校児童40人余の小さな小学校に通う。そんな野原を飛び跳ねている女の子」。10歳の後藤優奈が開発したのが「ゆびもじあぷり」、つまり手話ソフトである。指文字が映像に出てきて、それを見ながら会話ができるのだなと想像している。ゲーム機をせがんでも買い与えなかった父親がプログラミング教室を偶然見つけ、「行ったら、きっとゲーム作れるけん」と勧めた。小3で通い始め、プログラミングソフト「Scratch」の基礎から学び、一気に腕を上げていった。なぜ、手話なのか。そこは彼女の若い感性なのだろう。お寺で手話を学べるイベントに参加したり、コロナ禍で合唱できない代わりに、手話の歌を文化祭で披露したりして、手話に興味を持ったのだ。大分の片田舎にプログラミング教室があるというのも、時代なのだろう。

 さて、老人にはさっぱり像が結べない。30年前だろうか、NECや富士通がパソコンを競っていた時にCOBOLという言語を耳にしたぐらいで、無縁のものと思ってきた。それが小学生がプログラミングを創り出し、全国大会では優勝し、しかも賞金50万円が贈られている。時代が脇を猛スピードで駆け抜け、それを茫然と見送るしかない無力な自分の姿を見る思いだ。

 それはさておき、思い出したのは「手話を生きる」(みすず書房)。後藤優奈さんには手話とは何か、を究めていってほしい。手話は少数者の言語だということ。聴覚を失った人達は長い時間をかけて、手話という言語を育て、培ってきた。聞こえない子を「ろう児」と呼んでいるが、ろう児は手話を通じて、学び、遊び、喜ぶ。その手話が母語となって、言葉を獲得し、その言葉によって論理的に考えることができて、学力も身に付く。幼児期に母語となる手話を身に付けるかどうかが、その後の人生を左右する。もし耳が聞こえる両親(聴者)にろう児が生まれたら、母語となるべく手話が習得できないので、手話ができるろう者に里親になってもらい、手話ができる同世代のろう児に遊んでもらう。手話こそろう教育の核心なのだ。「ゆびもじあぷり」をろう児教育の武器になるレベルまで高めてほしい。まず、バイリンガルろう教育を行っている東京品川区の明晴学園を訪ねてほしい。あぷりがどのように使われるか。開発の余地を現場から探し出していく。その上で、ワシントンにある世界で唯一のろう者の文科系総合大学ギャローデット大学も訪ねてほしい。

 忘れられない言葉がある。「君らは視力を失っているがまだいいのだ。聴力を失った聾者はもっと過酷な現実に打ちのめされている」。視覚障害者はそんな慰めとも励ましとも聞こえる言葉を聞いてきたという。

 そういえば、82歳でゲームアプリを開発した若宮正子も、小学生の後藤優奈に負けてはいない。アップル社のイベントにも登場し、国連で「デジタルスキルが高齢者にとって重要」とスピーチしている。

このふたりの会話が面白い。「若宮おばあちゃん、おじいさんたちは何をしているのだろうね」。「そういえば優奈ちゃんの学校の男の子はどうしているの」。

 

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