同考の士

 70歳前後を過ぎたら、検査・検診は無用ではないか。それが確信に近くなってきた。同考の士ともいうべき作家の論である。30歳の時に「九月の空」で芥川賞を受賞した高橋三千綱。現在69歳だが無頼と自称している。胃がんの宣告を受けて宣言した。手術をしてしまえば最後、外科医は成功したと満足して患者を「バイバイ」といって送り出すだろうが、放り出されて患者は体力が衰え、骨皮筋右衛門のようになる。周囲からゾンビのようになったと噂されたままあたりを徘徊するのは確実。その上、手術後当たり前のように抗がん剤を与えられてしまえば、苦悶のスパイラルから抜け出せなくなる。そうであれば、手術拒否を宣言するだけである。

 そんな結論に至るまでの経緯だ。47歳の時に正式に糖尿病といわれ、そのまま放っておいたら、59歳からインスリンを打つハメに。そのうちにアルコール性肝炎になり、肝硬変になってしまった。酒好きが原因というのは間違いない。月に1回、病院で肝硬変の数値を診てもらっていたのだが、その検査の途中で、内科の先生が「何かおかしいな」といわれ、外科の先生に診てもらったら、「これは食道がんになっている。内視鏡で取りましょう」ということになり、何だか検査の延長で取られたような感じだった。肝硬変を発症した時に、余命4ヵ月、大事にすれば3年から5年生きる人がいると宣告され、よく生き延びたと思っていた矢先のことで、食道静脈瘤の治療のために、3回手術を受けた。静脈瘤が起こっている血管に硬化剤を注射して血管を固め、静脈瘤を潰してから内視鏡で切り取る手術だが、自分ではがんの切除をしたという感じはあまりなく、検査の延長線上で手術が終わった、という感じ。でも、やはり苦しかった。3回の手術の都度、食事が摂れないから。2週間に1度ずつ、3クールという感じでその間、やはりイヤだった。また、内視鏡手術も術後はあまり調子が良くなく、結構苦しんだ。という経過で、手術拒否主義者に転向した。

 高橋の連れ合いは氷見子というが、これもさばけている。65歳になったのを知って、国民年金の支払い側から受け取り側になったんだな、と同意を求めると、長く生きられないと思ったから60歳から受けとっていたという。しかし、もしかして長生きということもあるから、国民年金基金に加入もしていたから安心してくれとのたまう。11年かかった小説「猫はときどき旅に出る」を脱稿したこともあり、急に旅に出掛けたくなったので、「金はいくらある」と聞くと、がん保険金の残りが45万円ほどあると返してきた。その金で、グアムに夫婦で出掛けた。その旅先に医師からがんの検査を至急受けてほしいと電話が掛かってきて、押し問答しているところに、夫人が受けさせますと返事をしてしまう。その結果が胃がん、管状腺癌のグループ5。強硬に手術を強要する医師に対して「たとえ真性がんであっても手術はしません。やらなくても2~3年間は普通の生活ができるはずです」と拒絶した。人間は知らないでいる方がいいこともある。がんがそのひとつだ。知っていいことなど何もない。その意志は固い。

 わが近くでも、脳梗塞で右半身が不随になった、視野狭窄となり本が読めなくなったという知らせが届く。さりとてどんな健康維持策を講じようとも、誰しも避け通すことはできない。その時はそれを受けいれて、一旦あきらめることである。あきらめを消極的に受け入れるか、積極的に受け入れるか。その差が大きい。露の世ながらさりながら。ここに極意があると思うがどうだろう。正直自信はないがそれ以外に選択肢はない。参考/「図書」11月号「ところで、今度は胃がんが見つかりました」高橋三千綱。

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