生命とは何か、人間とは何か、そして自己とは。そんな難問に明確な示唆を与えてくれたのが、立花隆と利根川進の共著「精神と物質」だった。物質から生まれた生命は物質で解き明かされ、神秘な生命現象といわれる精神も当然物質で解明される。本当に生きているのはDNAであって、人間というのは身にまとっている衣に過ぎない。利根川は立花の挑発に乗って、丁々発止と続ける。編集者と科学者の取り合わせが絶妙といっていい。とりわけ立花隆は、この論の延長として死というものを感じ取っていた。それほど神秘に包まれたものではなく、夢の世界に入っていくようなものといい切っている。治療はもういいと、恐らく自らのイメージ通りに死に赴いたのだろう。40年生まれの5歳年長である。享年80歳。がん、心臓手術、加えて臨死体験と自らを好んで題材にすることも辞さず、好奇心の赴くままに森羅万象を解き明かそうとしてきた。3万冊の蔵書を収めた小石川にある猫ビルを見たいものである。
ちょっと横道情報だが、記憶に留めてほしい。このふたりを取り合わせたのは渡辺格・慶応大学名誉教授で、日本の分子生物学の先駆けにして、利根川進は弟子である。1987年のノーベル賞受賞のきっかけを作った渡辺は直接祝意を伝えたくて、ボストンに利根川を訪ねる。そこに立花との対談企画を用意している文藝春秋の編集者が同席する。すごいと思うのは編集者の行動力、それを許容する文春の懐の深さだ。ベストセラーを生み出す執念である。出版というのはかくありたい。蛇足になるが、利根川進は父親が富山・大沢野にある敷島紡績の工場長で赴任した関係で、小学校6年間は富山で過ごしている。また富山医薬大の初代学長を務めた佐々学は、渡辺格と東大医学部同期で、卒業成績がトップであり、「佐々は富山でくすぶっていないで、東京で活躍しないでどうする。大きな損失だ」といって憚らなかった。
さて、立花を間近に見たのは04年10月3日、石川県立美術館での講演会である。シベリア抑留画家・香月泰男を綴った「シベリア鎮魂歌」を刊行し、それを記念するものだった。文春を退社して、アルバイトで香月のゴーストライターをやったのが縁という。香月の故郷・山口県三隅町へ10日間通い詰めてまとめあげた。どんなテーマでも疎かにしない。香月没後20年に「NHKスペシャル立花隆のシベリア鎮魂歌」を監修している。この時の講演だが、2時間の予定が大幅に超えて、司会が止めに入ってようやく終了した。情報量が圧倒的多いうえに、サービス精神旺盛で誰にも優しいのがよく分かった。
もうひとつ驚くのは16年刊行の「武満徹・音楽創造への旅」である。えっ武満までも範疇にはいるのかと驚いた。さらに驚いたのは、知の巨人に恋人がいたのだ。その巻末に武満と並んでOMの墓前に捧ぐ、とある。箏のお師匠さんで、小唄、清元なども歌い、天性の美貌と美声の持ち主とのろけているが、彼女が邦楽もものする武満の取材サポートをしたのである。OMは最悪最強の「甲状腺未分化がん」であっという間に逝ってしまった。3万冊の本で埋まる生活に、束の間小唄が聞けた幸せ。立花がにっこり笑って、夢の中に消えていったかと思うと、40億年前に誕生した生命がもたらした幸せといっていい。諸君、それぞれのいのち、DNAの演出したものだが、生命の不思議を思いつつ、ちょっとは楽しんで消えていこう。