北欧紀行ストックホルム

岩波新書「スウェーデンの挑戦」がこの国との出会いといっていい。岡沢憲芙早大教授が91年に著わし、目を見張った。社会民主労働党政権による大胆な福祉国家への挑戦である。女性の社会参加に始まり個人単位の社会へ、高齢者,障害者がそれぞれの尊厳を維持しつつ権利としての福祉へ、在住外国人に対しても基本的に差別はないとする。一方では売上税を含めた高負担であり、その苦痛を受け入れ、高い理念が具体的な施策となって実現されていった。もちろん揺り戻しもあったが、依然としてその存在感は大きい。
 また、余り関係ない話だが、64年10月10日東京オリンピック開会式の当日。社会の矛盾を隠蔽する国家権力の陰謀に加担してなるものかと、ひとり浅草6区に出かけ、映画「スウェーデンの城」を見たことも何故か思い出される。19歳の苦い記憶である。
 ベルリンから1時間余、小さなプロペラ機はストックホルムに到着した。市街地から少し離れた古いホテルであったが、居心地は悪くはなかった。夕方だったが、日が沈まない長い夜が待っていると思うと、エトランゼであっても、何かをかきたてるような気分にさせる。
 最初に特筆したいのがこのレストラン。1722年創業の「DEN GYLDENE FREDEN」。石畳を踏みしめて歩く、中世を思わせるガムラ・スタンにある。何かの貯蔵倉庫であった地下にテーブルが並んでいて、数百年にわたって、たゆまずにやってきたという誇りと品位があった。北欧の伝統料理だが、繊細さが際立っていた。何よりスタッフの挙措が凛としていて、気持ちが洗われる。ビール、ワイン、締めくくりのウオッカでほろ酔い歩く気分は格別であった。ここの不便なところは公衆トイレがないこと。日本人の女性ガイドにトイレの場所を聞いたのだが、円筒型のブリキで出来ており、ひとりをすっぽり囲むだけで、便器というものもなく、すぐに下水に流し込む粗雑なものだった。
 このガムラ・スタンの北側に王宮がある。何しろ正式名称はスウェーデン王国。丁度正午に差し掛かっていたので、衛兵の交替式を見ることができた。
 多くの観光客がお目当てとするノーベル賞授賞祝賀晩餐会が行われる市庁舎だが、午後4時寸前に飛び込んだが、閉庁時間だと断られてしまった。黄金の間は見ることはできなかったが、その代わりと紹介されたノーベル博物館で、映像主体だが堪能することができた。
 さて主目的だが、市街地から車で30分離れた老人ホームを訪ねた。施設副長に相当するオーリーが応対してくれたが、合気道が趣味で東京にも2度行っているという。そこは16世紀の古城だったものだが、陶芸工場、そしてホームへと改築された。こうした歴史建造物も福祉施設に換えてしまう“石の文化”だということ。41人の収容だが、末期の人が多く、その日も救急車が駆けつけていた。職員40人に加えて、赤十字からの派遣3人ということだから、ゆったりとした介護だというのがよく分かる。手入れの行き届いた庭で、くつろいでいる婦人が印象的であった。何しろ年間医療費は約16,000円、薬剤費約32,000円が個人負担の上限となっている。昨年日本人3人が研修に訪れていたというし、癒しロボットの導入も考えていると聞いて、親近感が湧いてくるから不思議だ。
 そこから歩いたところにあるヨットハーバーで、オーリーを囲んで昼食を取ったが、ゴルフの話で盛り上がってしまった。普通の青年が福祉の職場に携わり、趣味である合気道、ゴルフの話に打ち興じれるという“ゆとり”こそ、この国の懐の深さだろう。
 コンビニは見受けなかったが、ホテルの裏側にある鉄道駅に隣接したスーパーは完全にアメリカンスタイルで、すべてのものがあふれかえっていた。アメリカ型グローバリズムに抗して、消費も禁欲的かと思ったがそうではなかった。しかし、あっという間に金が消えていく。物価は円安もあるのだが、とにかく高い。

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