木下順二

「かにどん かにどん、どこへいく」「さるのばんばへ あだうちに」「こしに つけとるのは、そら なんだ」「にっぽんいちの きびだんご」「いっちょ くだはり、なかまになろう」「なかまに なるなら やろうたい」。絵本「かにむかし」だが、愚息たち、孫たちに何度となく読み聞かせてきた。言葉の面白さがこれでもかというばかりに詰まっている。口にするだけで親子が躍動するのだからたまらない。木下順二との最初の出会いであったが、その偉大さがわかったのは名作「子午線の祀り」に圧倒された79年であった。この時に義経を演じた狂言師の野村万作が東京新聞で回想しているのを読み、黄金週間の前半は木下ワールドに親しむことにした。
 まず取り出したのが「本郷」(講談社学芸文庫)。東京の本郷である。ここで大正3年に生まれ、私が本郷を所有するのかというくらいに本郷を愛した。五高を卒業するまでの10年間は熊本だが、これも本郷を際立たせる期間でもあったようだ。生涯独身であったがその背景にはこんな事情も秘められている。天文学で名をなした次兄が若くして亡くなり、その死後に生まれた女の子を抱えた嫂(あによめ)にほのかな恋情を持ち、短編にまとめている。五高文藝部であった梅崎春生に「大したもんじゃなかね」と笑われているが、男いのちの純情もありそうな男である。
 昭和11年東京帝大英文科に入学し、中野好夫のもとでシェイクスピアを専攻している。その恩師の勧めで柳田國男の「全国昔話記録」を読み、魂のふるさとを感じ取っていった。それが戯曲「夕鶴」で、一番美しい日本語として実を結ぶことになる。忘れてならないのは一番美しい日本語を獲得するまでに、軍隊体験を通じて暗い運命に服従して逝った若者たちの悲しげで、顔を持たぬ、大きな人群れに対する木下流のろ過装置があることだ。
 さて、核心である。「平家物語による群読―知盛」だが、夕鶴のつうを演じる山本安英との関係は切り離せない。彼女は築地小劇場から関わり、新劇の聖女と呼ばれ、新劇の基礎を築いた。68年岩波ホールで山本安英の会が行った「平家物語」の原文による群読がそのスタート。原文の朗誦だけに、恐らく聴衆は7割がたしかわからなかっただろう。しかし現代語訳ならわかるだろうか。平明な語訳は原文の持っているエネルギーを消し込んでしまう。日本古典の原文による朗読はどこまで可能か。それに挑戦したのである。いわゆる“語り物”の文学を活字の世界に閉じ込めないで、多くの人間がそれを読み合うことで、「読む」と「聞く」が渾然一体となった群読によって、古典の世界を体験的に共有できるのではないか。その実験の行き着いた先に「子午線の祀り」があったのだ。前進座・嵐圭史の知盛、観世栄夫(ひでお)の宗盛、山本安英の影身(かげみ)、野村万作の義経、滝沢修の民部重能(みんぶ・しげよし)などを集め、「現代劇と伝統芸能がお互いよいところを奪い合ってください」と木下は高揚して話しかけている。
 忘れてならないのは、宇野重吉である。劇団民藝を主宰しているが、木下の同志である。野村万作がこう述懐している。台本の読み方が圧倒的に深い。「野村さん、ここのところはこんな風に」といいながら演技をつける。飄々と背中を丸めた洋服姿ながら、少しも義経じゃないはずなのに、義経が首実検しているように見える。稽古前に演出の設計図を引いてくるのだが、その素晴らしさはたとえようがない、とも。
 木下は92歳で逝ったが、「花一輪といえども御辞退申し上げます」と、自分のことで他人を煩わせることを嫌った潔癖さであった。「オットーと呼ばれた日本人」、どうしても取り返しのつかいことを、どうしても取り返すためにと書いた「沖縄」も忘れがたい。富山映画サークルの久保事務局長は、高野悦子宅で木下順二を垣間見ている。無口な人でしたよ、とまったく分かっていない。
 参照/「木下順二論」宮崎泰治著

© 2020 ゆずりは通信