スパイ・ゾルゲ

祖国を裏切るほどの思想を持つ。そしてその思想に殉じた男たち。リヒャルト・ゾルゲと尾崎。それぞれの祖国ドイツと日本は、その頃ヒトラーや軍国主義者たちが狂ったように大衆を扇動し、戦争へと駆り立てていた。その渦中にあって、祖国よりも思想をと、ソ連、中国を選び取った。1944年11月7日巣鴨刑務所で二人は処刑された。その日はロシア革命記念日であった。

このスパイ事件を担当し、ゾルゲを取り調べた大橋特高警察官の訃報が6月6日小さく報道された。99歳とあるから、取り調べたのは38歳の少壮の頃か。不思議に二人は通じ合ったらしい。そんな数行の訃報記事から、わが古い記憶がよみがえった。

30年前東京に勤務していた頃。銀座並木通り三笠会館前の小さなビルの4階がわが支社。窓から見下ろせるところにドイツ料理レストラン「ケテル」があった。現在もある。戦前の事件前後、ゾルゲの愛人石井花子が何とそこにウエイトレスとして勤務していたというではないか。早速と出かけ、フランクフルトソーセージをかみしめて、ゾルゲを思った。彼女は戦後多摩墓地に処刑後のゾルゲの遺体を引き取り、埋葬している。

世界を揺るがしたスパイ事件の核心はこうだ。1941年6月、ソ連はドイツ軍300万人の猛攻を受けて大苦戦を強いられていた。そしてこの苦境にあってなお、満州国境沿いにも日本の侵攻を想定して兵力を配備せねばならなかった。スターリンは悩んでいた。その時ゾルゲから、日本はソ連に侵攻しないという確度の高い情報が寄せられた。近衛内閣のブレーンであった尾崎より「御前会議で日本は対米・英・蘭に対し戦端を開く準備をするということを決めた。したがってソ連侵攻はあり得ない」というもの。これを送ったのである。スターリンはソ満国境の兵力を対ドイツに振り向け、42年スターリングラード攻防戦で大勝利を得ることになる。このヒトラーの敗退が連合軍勝利への一大転換点。ゾルゲが20世紀最大のスパイといわれる所以でもある。しかし猜疑心の塊で、冷酷なスターリンは、この最大の功労者を日ソ間の捕虜交換交渉で拒否して見捨てている。名誉回復はスターリン批判後の1964年まで待たねばならない。

さて尾崎秀美。ゾルゲとの出会いは、上海でアメリカ人ジャーナリスト・スメドレーの紹介によるもの。それから東京でそれぞれドイツ新聞社特派員、朝日新聞記者として再会することになる。これは宿命的なものと逃げてはいない。「愛情は降る星のごとく」は敗戦直後のベストセラー。尾崎が妻に送った獄中からの書簡集である。「オットーと呼ばれた日本人」は尾崎をモデルに木下順二が書き上げた劇団民芸の代表劇。宇野重吉がオットーこと尾崎を演じている。歴史の激動の中で、宿命と感じる出会いがあれば、それに殉じていく生き方だ。異母弟で文芸評論家の尾崎は、兄貴のせいで売国奴の家族と糾弾されたつらい日々を経験し、「生きているユダ」でこの事件の真相に迫っている。

そしてこんな情報が舞い込んできた。篠田正浩監督が来年公開で映画「スパイ・ゾルゲ」を製作しているという。ゾルゲはスパイにもかかわらず、すごい女たらしで20人以上と関係を持ったらしい、とは篠田談話。諜報員だけでなく、共産主義者として「新帝国主義論」などマルクス経済学の著作も多い社会科学者、そして女たらし。篠田作品はこんなゾルゲをどんな風に描くのであろうか。

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