草間彌生

死に向かって踊り込んでいく。88歳の芸術家・草間彌生を評したら、そんな表現になる。しかも一片の感傷を抱くこともなく、死というのは生命の分子が水玉模様に分解されていくイメージだということだ。そんな草間に今の世界政治を表現させたら、トランプ、プーチン、金正恩、習近平、アサド等の男根(ペニス)こそ諸悪の根源と、阿部定にことごとく切り捌かせて、宦官としてかしずかせている図になるだろう。4月8日、東京・乃木坂にある国立新美術館で「草間彌生―わが永遠の魂」を鑑賞したのだが、シリア空爆とも重なり、権力者の愚かさを「頭がものすごく古い人たちがいる。ほとんどの問題はそこから起きる」というメッセージから、そんな風に感じた。
 「毎日が闘いです。もっと努力したいと思います。もっと強く、自分の思想や哲学を打ち立てていきたい」。1929年長野・松本で生まれた草間は古くて因習的な家族等に囲まれて、人生の大きな重荷を背負った。若き日の彼女の才能を初めて発掘したのは精神科医である。その作品とともに日本精神医学会で報告されている。個人として草間作品を50点所有する高橋龍太郎も精神科医である。父母の確執もあり、子供の頃から死ぬことばかりを考えていたが、絵を描いているとすべてが治まってしまうという。意識的に芸術に関わるというより、原始的本能的に始まってしまっていた。19歳で編入した京都市立美術工芸学校日本画科では、序列や師弟関係にやたらうるさく、しがらみだらけで、学校には行かず部屋にこもりきりでひとり描いていた。1957年、母を説得するのに8年を要してニューヨークに旅立つ。生命を根源的に生きていこうとする私にとって、この国はあまりに小さく、卑しく、封建的で、女性への蔑視に満ちていた。英語を学ぶ機会もなかったが、とにかく古いしがらみから逃れたいと外国行きに全く不安を感じなかった。ニューヨークの日々は孤独で、極端な貧困も重なり、絵の具とキャンパス代にも事欠いたが描き続けた。ホイットニー美術館のコンクールに出品した時は全く見向きもされず、背丈以上ある作品を抱えて、40ブロックを歩いて帰ったのだが、3日間食べていなかったので倒れそうだった。最初の個展は97年プラタ画廊で、白いモノクロームの「無限の網」を公開したが、これが評価を受けて、草間認知のきっかけとなった。芸術の創造的思考は最終的には孤独の中で生まれ、鎮魂の静寂から、きらめきはばたくものだと確信している。
 前衛を自称する芸術家はあらゆる表現手段で挑戦する。68年ベトナム反戦をテーマにしたハプニング「ニクソンへの公開質問状」を紹介しておこう。ブルックリン橋の上で、全裸の男女4人が旗を掲げ、「私たちは自己の存在を忘れ、神と一体化しましょう。裸のまま集まってひとつになりましょう」と訴えた。これは「セックスが、男性が恐怖だった」として、男根を模したソフト・スカルプチュア(和らな素材の彫刻)を無数に作り続け、恐怖を親近感へと反転させたように、自らの性への解放につながった。このイベントで松本の出身高校から除名の署名運動も起きている。人類の精神的退化が我々の前途の太陽をいつもさえぎろうとすると一蹴しているのだが、それほどの覚悟なのである。
 08年クリスティーズで、草間の「無限の網」が約5億4000万円で落札された。現代美術での草間の評価であるが、マーケットと批評を連動させて、東京、ニューヨーク、ロンドンの3画廊に作品を集約し、トップに立ち続けるというマーケティング的戦略が貫かれている。
 驚かされた展示は、鏡を巡らせて空間に小さな赤いガラスの水玉が吊るし、照明があたる中を歩くのだが、まるで宇宙区間に浮遊している感じになって、自己消滅というテーマが体感される。「私は人の影響を受けたことがありません。自分自身の芸術を信じているからです」。こういい切る草間の真骨頂ともいえる作品だ。5月22日までの開催だから、ぜひ一見したらいいと思う。
 参照=「水玉の履歴書」(集英社新書)、「草間彌生」(ユリイカ29年3月号)

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