小児在宅医療

名古屋駅から東海道線上りに乗り換えて15分、大府駅に降り立った。2月2日のことで、初めての土地である。愛知県は全国で最も地方交付税不交付団体市町村が多く、大府市もそのひとつで豊かな市といえる。ところがその駅前にはコーヒーショップもなく、やむなくミスタードーナッツで飲むことになった。タクシーも並んでいる風でもない。ようやく来合わせたタクシー運転手がこうこぼす。トヨタのケチケチ社風がすみずみまで行き渡り、街にカネがまわらない。数年前に豊田章一郎社長の自宅に呼ばれて、役員を送ってくれとチケットまで渡されたのに、その役員は、まだ列車が走っているから最寄の駅まででいいと降りてしまう。思わずタクシーチケットまでチェックされるのですかと聞いたが返事はなかった。名古屋はつまらない街だと嘆く。勤倹を重んじた将軍吉宗に対抗して、万事華美を尊んだ尾張藩主・宗春も嘆き悲しんでいるといわねばならない。
 目的は、大府市にある国立長寿医療研究センターで開かれた、在宅医療連携拠点となる行政、病院、診療所が集まっての活動状況を交換し合う会議である。このセンターは国立だけに膨大な敷地に病院も併設している。病院にはもの忘れセンターがあり、研究部門では認知症先進医療開発センター、老年学・社会科学研究センターなど、なるほどと思われる部門がある。効率一辺倒のトヨタ系列工場群とは相容れない感じもするが、これはあふれる車需要に押し出されて、あとから押し寄せたのだろう。
 さて、この会議で何と迂闊なのかと思い知らされた。長野県立こども病院からの小児在宅医療の報告は衝撃であった。在宅といえば高齢者と思い込んでいたが、小児の問題こそ喫緊なのである。こども病院は安曇野市にある。病床数170床で、医師が112名、看護師・助産師281名が支えている。NICU(新生児特定集中治療室)は42床だが、緊急に対応するために予備を常に用意しておかねばならない。そのためにも小児在宅が必要なのである。思い出したのが06年のこと。孫娘が生後3ヶ月で川崎病を発症し、入院を余儀なくされた。その頃長男家族は上越市に住んでおり、2歳の長男も抱えた状況で24時間の付き添いをもとめられ、窮地に陥ったのだ。すべてを投げ打ってもと気合十分で駆け参じ、退院まで16泊もした。鰥夫の過剰反応でもあるのだが、やるしかないとの思いだった。
 こんなエピソードも付け加えておきたい。長崎県壱岐市でのこと。市民病院はあるが、高度な小児救急には対応できない。そんな緊急な場合はフェリーで九州・福岡に搬送される。ある日のこと。壱岐の訪問看護ステーションに福岡の病院から電話が入った。次に面会に来るまでに赤ちゃんの命がもつかどうか、という赤ちゃんの両親からで「このまま壱岐に、何としても連れて帰りたい」と涙ながらに懇願するものだった。電話を取った所長は、引き受けますと後先考えずに応じた。すぐに市民病院に連絡をし、金曜日の夜になるが、外来での診察に応じて欲しい、と一歩も引かぬ思いで迫り、確認を取った。壱岐に着き、一晩両親と過ごした赤ちゃんは、チューブを外し、お母さんと一緒に沐浴をした。しっかりとだっこしてもらいながら、おっぱいを吸えるか吸えないかわからない状態だったが、胸に顔をくっつけて少し口を動かしたように見えた。そして翌日の日曜日。お母さんの胸に抱かれて、赤ちゃんは亡くなった。(「訪問看護と介護」9月号から)。
 そして、報告の締めくくりでこども病院の医師はこう訴えた。小児科医は少ないので在宅までは抱えきれないことが多い、急性期を過ぎていれば内科医でも診られると思うので協力いただきたい。また高齢者の看護介護に関わる方も同様にお願いしたい。これを聞いた高齢者在宅部門は、ここは何をさておいても小児在宅を最優先すべきだ、と心から思った。どうだろうか、富山型ディの考え方を敷衍すれば不可能ではないだろう。また、厚労省ももっと手厚く小児医療在宅に資金を投じなければならない。
 翌日、愛知県美術館でウィーン分離派の画家「クリムト展」を、病気の小児を抱える方たちに申し訳ないと思いつつ観てまわった。

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