「反骨」

翁長・沖縄県知事の胸中を思う。9月17日、注目の辺野古訴訟で沖縄県側の敗訴を報じる新聞を読んだ後に、ドキュメンタリー映画「圧殺の海 第2章・辺野古」を富山・サンフォルテで見た。その夜に、ウイスキーを舐めながら手元に置いていた「反骨 翁長家三代と沖縄のいま」(朝日新聞出版)をひも解いた。同世代の政治家がこの局面をどう考えているのか。しかも司法までもが国家権力に同調しようという状況で、次にはどんな手を打っていくのか。秋の夜長は孤独で、暗く、厳しく、いつ空けるとも思われないほど長い。
 翁長は50年生まれの65歳、いわば団塊の最後に属する。その政治歴は那覇市議に初登場して2期、県議2期、那覇市長4期とほぼ30年続け、14年12月の知事選で現職の仲井眞知事に挑み、当選した。知事選に出るまでは父、兄に続く自民党の保守本流であった。県議及び自民党県連幹事長であったときは、辺野古移設推進決議案を可決させた旗振り役だったし、那覇市長の時は、辺野古移設に賛成していた。沖縄では「保守は生活の戦い」を、「革新は人権の戦い」を掲げ、理想論で飯が食えるのか、お前たちは命を金で売るのか、と激しくやりあった。翁長の選挙上手は9連勝でわかるのだが、選挙情勢に通じ、どこに誰がいて、どんなことができるか、まで洞察し、その手法、手腕は語り草になっている。単純、単細胞な政治家ではない。
 転機となったのは、稲嶺知事の苦渋の選択として、辺野古の沖合に海を汚さない人工フロートの軍民共用の飛行場を作り、15年で返還させるという案がほぼ閣議決定をしていたのに、日米合意にならなかった。その後、V字滑走路2本と艦船が横付けできる長大な護岸を持つ巨大基地構想にすり替わってしまった。それでも、鳩山首相の「最低でも県外」もあり、沖縄も県外移設で固まろうということで仲井眞知事を再選する片棒を担いだ。ところが、自民党の復権とともにあっという間に、辺野古容認に雪崩を打っていく。
 翁長は市長時代にゴルバチョフを沖縄に呼んで講演会を開いている。冷戦の終結とソ連崩壊という歴史の流れを市民に直接感じ取ってほしいという思いでもあるのだが、本人自身も稲嶺知事に同行し、ワシントンの空気を自身で感じ取っている。また硫黄島への移設も自ら考えていた。この仲井眞の変節は容認できなかった。加えて、翁長に胃がんが見つかり、全摘手術を受けたこともあり、最後の勝負という覚悟も後押ししたのであろう。反自民でオール沖縄がまとまって、知事選では10万票もの差をつけて、仲井眞を圧倒した。
 「沖縄は戦前、戦中、戦後、十分すぎるくらい国に尽くしてまいりました。もう勘弁してくださいと、心から日本国民に訴えたいのであります」。この声に「本土は一顧だにしない」。翁長は繰り返しこの言葉を口にしている。
 圧殺の海、辺野古フイルムは一顧だにしない本土の冷酷をそのまま映し出している。海上保安庁のエンジン付けたゴムボートが、抗議のカヌーを追い回し、体当たりしカヌーをひっくり返している。基地ゲート前では全国から招集された機動隊が機材を運び込む車両にもぐり込んだ市民を引っ張り出している。辺野古ゲート前テント世話人の山城博治は訴える。膨大な埋め立て土砂は日本中からかき集めなければならない。この土砂を運ばせない運動を全国でやってほしい。工事を請け負う大成建設に生コンを出させない運動もある。アメリカはそれを見ている。沖縄の民意を読み損ねて、徹底した暴力行為だけでやろうとしても基地は作れないし、維持できない。
 この政権も永遠に続くものではない。翁長知事と一緒に次の時代を見据えるしかないだろう。

© 2020 ゆずりは通信