信州に良医あり

どうも医療に対する考え方が定まらない。持論は国民皆保険制度に対する疑問。確かに戦後飛躍的に国民の平均寿命を延ばしてきた。しかし、すべて保険点数に換算するシステムは限界に達している。むしろ医療現場の進歩を妨げているとしか思えない。

しかし、こんな短慮偏見をくつがえすような病院があらわれた。諏訪中央病院。長野県茅野市にある。最初からよかったわけではない。患者の来ない、ぺんぺん草がはえているオンボロ病院だった。そこにやってきたのが二人の学生活動家あがりの医師。子供じみた理想を掲げて遭進した、いや今も続けている。先に赴任したのが亡き今井。この通信で紹介済みなので参照されたい(エッセイ ‘次々と逝く全共闘世代’)。今回登場が鎌田實。今井院長が48歳で、39歳の鎌田にバトンタッチした。鎌田は前著「がんばらない」に続いてあきらめない」をこのほど上梓した。集英社1200円。心のうちに熱いものが流れる好著である。

一番感心したのは病院のお粥。患者であった老舗「布半」の主人が「うちのに引けは取らない」といった。温かなものは温かなままで、冷たいものは冷たいカタチで、もちろん食器は陶器、患者のベッドまで運ぶようになっている。病院の食事は何よりの楽しみ。これによって患者の生きようとする力は確実に向上する。しかしコスト重視ではこれがなかなかできない。

この病院は、二人の信条から救命医療と高度医療と地域医療を総合的に持ち、バランスよく活用し、住民の中に入り込んでいる。「現代医療は病気だけを診ていて、私という患者を診ないんですね。私の中における癌を診ていて、私という人間を診ていない」そんな反省の上に立っている。例えば、減塩を徹底させるための冷奴の食べ方。醤油を直接豆腐に掛けるのではなく、猪口の醤油につけるようにといった具合。また二人のおせっかいに近い医療も、二人がスタッフに頭を下げておこなってもいる。精神に障害を持つ癌患者を引き受け、言葉が通じないながらインフォームドコンセントをやっている。また副甲状腺機能亢進症と高血圧のために寝たきりになり、痴呆も進む91歳のおばあさんに訪問看護を徹底して在宅で看取っている。こんな余計ともいわれることに加えて、この地域は日本有数の長寿地域でさえある。当然医療費は嵩んでいるに違いないと思われるが、何と黒字なのである。

「いい医療を持続させるために、経営を安定させたいと思い、公立の病院だからといって赤字でいいとは一度も思わなかった。無駄な注射や薬は出さないように心がけた。それでもってどうしても国民皆保険制度にこだわってやりたかった」。彼の人生体験に根ざしているからだ。「ぼくは1歳で捨てられている。どこでどんな人の間に生まれたかはっきり知らない」。その時養父母は貧しかった上に、母は心臓弁膜症を病んでいた。それでも引きうけてくれたのである。養父岩次郎は、妻に日本で始まったばかりの心臓外科手術を受けさせようと東京に出てタクシードライバーとして懸命に頑張った。国民皆保険制度のお陰で高度な医療の恩恵に浴すことができたのである。

やれば出来るのか。出来るのにやっていないのか。サラリーマン3割負担増の以前に医療の質を問い直すべきである。いつも数字だけが一人歩きした論議だ。

市町村合併も医療からのアプローチがあっていい。あそこのあの病院があるから合併したいとか、こんな良医がいるから合併して理想の病院をつくろうとか。

信州に上医あり、といわれる。彼ら二人の院長のさきがけとなった佐久総合病院の若月俊一を指している。二人は良医でありたいと願っていた。その信州の医療土壌で、田中長野県知事は病院の株式会社参入を図り、医師のギルド的な体質を打ち破り、患者に数多くの選択肢を与えるべきだと叫んでいる。これは絶対に注目すべきである。医師会と真っ向対決するという。自民党が医師会におびえきっているさまとは雲泥の差。医療の本質論をぜひ展開してもらいたい。

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