戦後歴程

経営者の資質、能力が大きく作用する時代である。シャープやパナソニックを引き合いに出して、後付けの理屈を述べるつもりではない。20数人が働く小さな法人経営であってもそのことを日々痛感させられる。開業して2年半が過ぎ、何となく軌道に乗ってきたように思うが、何か見落としているような落とし穴があるのではないか、と落ち着かない。刻み込んでいるのはヒューマンさと心意気。どんなことでも手際よく、スピード感を持って進めるようにしている。資金繰りにゆとりができて、ちょっと幅のある判断もできるようになり、いい循環になればいいとも思っている。
 そんな時にふと思うのが、組合活動の経験である。経営者をよく見ていた。厳しい判断をする人でも、そこに清清しさを感じれば、素直に受け入れることができた。反面、出世欲に駆られて、押さえ込んでくる人間には、徹底して闘うことにしていた。
 レベルは違うが、同様に組合活動を評価する経営者がいる、品川正治・日本興亜損保相談役だ。雑誌「世界」に昨年7月から「戦後歴程」と題して、回想記で清筆をふるっている。24年生まれの89歳。中国戦線で九死に一生を得て、損保会社に職を得、労働組合活動に専念し、その後経営側に身を置き、日本火災の社長、会長を歴任して、経済同友会の終身幹事でもある。マックス・ウエーバー流に「職業としての経済人」を常に追いかけてきた。見てきたのは資本主義の本質と変貌と将来であり、資本主義に支えられた民主主義の歪んだ姿である。1%の支配階級が政治も経済も握る米国にそれを見ている。
 戦後のある時点までは、自分の戦争を語ることも、政治を語ることもしてこなかった。しかし、日本を「憲法九条の国」としてではなく、「日米安保の国」にしようとする動きが強まり、日本がアメリカの従属国として世界から見られるような状況を前に、口を開かざるを得なかった。これが連載執筆の動機である。
 旧制三高で自らの運命を変えた事件に遭遇する。44年2月のことで、京都師団長の査閲が行われた時である。軍人勅諭を暗礁する段になり、ひとりの生徒が手を挙げた。「我国の天皇は世々軍隊の統率し給う所にぞある」とわざと読み違わせ、「我国の天皇は世々軍隊に統率し給われたのであります。違いますか?天皇に名を借りて軍は一体この国をどこに連れて行こうとしているのですか?」。全員が息を呑み、査閲官は軍刀の柄に手をかけ、「査閲中止!全員解散!」と叫んだ。誰もが三高が潰されることを覚悟した。生徒総代であった品川は嘆願書を出し、同時に退学し、志願兵として最前線に赴くことを決めたのである。
 また経営人としても、こんな思考をする。沖縄返還時に日本火災の企画部長であったのだが、社長を伴い沖縄出身の大浜信泉・早大総長を訪ね、沖縄の現状をつぶさに聞き、沖縄の損保業界と行く末を案じる。他社は先駆けて営業所開設などに動き、系列に置こうとするが、日本火災は沖縄損保の自立を目指すことを支援する。本土側の業界の動きを制するために、まず沖縄2損保の対等合併を模索する。品川は沖縄に出向き、二つの組合をオルグして、双方の組合は満場一致で合併に賛成を決め、本土側からの働きかけに動揺していた経営側もそれに同調する。いまに残る大同火災がそれである。 
 さて、大晦日である。総選挙以来落ち込んでいるが、毎日新聞は追い討ちをかけるように「首相、原発新設前向き」と報じている。福島第一原発のものとは全然違う。何が違うのかについて国民的な理解を得ながら、それは新規に作っていくことになる。国民は当面の電力需要に不安であり、簡単に「脱原発」「卒原発」とやや言葉遊びに近い形で言ってのける人たちは(衆院選で)信用されなかったのだろう、と付け加えている。誰かの入れ知恵で動いているのだろうが、安倍政権の驕りがもう出てきたようだ。
 年の最後に、こんな愁嘆だけを吐いて終わりたくないので、戦後歴程を紹介した。みなさん、よいお年を!

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