心を洗う、山代巴

「魂いななき 清浄の水こころに流れ こころ眼をあけ、童子となる」。秋が深まると、高村光太郎の「秋の祈り」が口を衝いて出てくる。「いのる言葉を知らず」。だが、祈るしかない。わが裏山に烏瓜の二つ三つを見つけて、落ち葉を踏み敷く小さな音を聞くと、そんな気持ちにさせられた。
 久しぶりといえば年2回発行と少し寂しくなったが雑誌「ひとりから」(第55号)は健在で、原田奈翁雄がこれを読んでほしいと呼びかけている。「山代巴 獄中手記書簡集」で、而立書房の宮永捷が10年前に平凡社から出されていた同名のものを増補版として再度世に問うている。敗戦直前まで監獄に閉じ込められていた彼女の獄中でのものをまとめている。どうしてそんな記録が残っているのかといえば、収監されていた広島県三次(みよし)の女囚刑務所の女性看守、井上ヨシコと重森クラの功績である。彼女らの仕事のひとつは囚人の書く手記や、外と交わされる手紙、ハガキの検閲であった。仕事として巴の文章を読み、夫、家族との手紙のやりとりを読むうちに、彼女らはその内容に深く引き込まれ、何と法に背いて、ひそかにそれらをすべて筆写して家の持ち帰り、保存するようになった。それが戦後まで大事に保管されて巴の手に返され、そのおかげで手にすることができるというわけである。
 ところで、山代巴だが、明治45年というから最後の明治生まれで、平成16年に92歳で没している。夫の吉宗も同時期、治安維持法で収監されており、獄死している。彼女の代表作の「荷車の歌」は農協婦人部がひとり10円のカンパを募り、3200万円に達して、山本薩夫監督が三国連太郎の主演で昭和34年に映画化している。
 原田が読んでほしいというのは、巴の持つ人間としての暖かさ、真率さあふれるものが、国賊として囚われたいわば巴の敵方である女性看守のこころを解きほぐすだけでなく、真の味方に転じさせてしまった事実である。断固声を挙げるのもいいが、味方に引き入れていく術を磨くべきであり、懐の深さなるものを身に付けるべきだということだろう。ヘイトスピーチに感情論だけで立ち向かったり、ヘキヘキしているだけでは、ネット上でますます「いいね」が増えていくだけだ、ともいいたいのだ。
恐らく、戦後レジームからの脱却という歴史修正主義を直していくには、相当の覚悟と時間を要することになろう。
 原田が昭和55年に筑摩書房を辞めて径(こみち)書房を立ち上げたのは、山代巴のすべての仕事を刊行するためであった。その第1巻が「囚われの女たち」で、隣の独房にいる農婦の身の上話を取りあげている。貧しい農家に嫁ぎ、子どもに乳をやる時間も惜しまれて、朝から晩まで舅、姑に追い立てられる日々。夫は中国朝鮮国境警備巡査を志願して大陸に渡ってしまう。そのうち朝鮮の女を連れて帰り、家の離れに新築して住まわせる。その掃除をしていると、夫に縁側から庭に蹴り落とされてしまう。「畜生!アカギレの足で青畳を汚すな!」と。その夜、彼女はその離れにマッチを擦って火をつける。火はたちまち母屋にも移ってすべて燃えてしまう。彼女は放火犯として独房に押し込められたというのだ。女性の活用もこの歴史的な女性差別から始めなければならない。日本の近現代史を見つめ直すことしか解決策はないのだ。
 また、光太郎に戻ろう。「よろこびとさびしさとおそろしさとに跪(ひざまず)く いのる言葉を知らず ただわれは空を仰いでいのる 空は水色、秋は喨々と空に鳴る」。秋に、心を洗う。そんな秋の一日があっていい。

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