政治学徒 物理学徒

日本原子力学会が19日、北九州市で開かれた。奇しくも、東京・明治公園に6万人が集結した反原発集会と同じ日である。胸かきむしるほどの反省の弁が聞けるかと思いきや、型どおりの「学会として遺憾に思う」という田中知(さとる)学会長・東大教授のあいさつであった。とにかく言葉が琴線に触れてこない。もっと率直に語りかけてもいいのではないか。また、辞任して責任を明確にする方法もある。東京電力もそうだが、自らは加害者ではなく、むしろ被害者だと思っているのでは、と訝ってしまう。東電に配置される5000人に及ぶ賠償担当者の中にも、損な役回りに「やってられないよ」と思っている者も多いと思う。被災者に、加害者として誠心誠意に対応できないとすれば、賠償が進まないどころか、火に油を注ぐことになり、傷害沙汰にもなりかねない。
 さて、そんなやるせない思いを断ち切る、ふたりの学徒の話題である。ひとりは坂本義和、昭和2年生まれ、84歳の東京大学名誉教授である。戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」にある「学徒の魂は真実のない国家よりも、国家のない真実を求める」という悲痛な叫びに胸を衝かれて、自らを学徒とへりくだる。そして「ある政治学徒の回想」を副題にして「人間と国家」(岩波新書・上下2巻)を上梓した。一高、東大というエリートコースだが、こうしたエリート養成なら納得できる。教師との関係、寮での交友、読書遍歴などなど、一度そこに身を置いてみたかったと思わせる。フルブライト、ロックフェラー両財団の奨学金を利用してのアメリカ留学も加わり、政治学もそうだが、自分自身が磨かれていく。現実主義とは全く異なるリアリストを目指す立場を堅持する素地はここで養われた。傍にはいつも岩波書店のジャーナリスト安井良介がいるのだが、これもいい。
 いまひとりは山本義隆である。昭和16年生まれの70歳。ご存じ元東大全共闘議長であるが、物理学徒だ。坂本が東大紛争時の山本を評している。「山本君はその後、大学には就職しないで、予備校の先生をやり、一生学問をする気持ちを変えなかった。そして、近代物理学の誕生を懸命に考究した。あれはひとつの生き方として立派だと思います」。一方で、東大解体を叫びながら、東大教授に納まっていった全共闘の人間もいると皮肉っている。
 その山本が8月末に書き上げたのが「福島の原発事故をめぐって」(みすず書房)。「いくつか学び考えたこと」と副題にそえ、あとがきに「物理教育のはしくれにかかわり、科学史に首を突っ込んできた私が、原子力発電に反対する理由です」と、学徒らしい謙虚さと潔さだ。あらためて、その反対理由を要約しておく。「そのエネルギーは、ひとたび暴走を始めたならば人間によるコントロールを回復させることがほとんど絶望的までに大きいこと」「原子力発電の建設から稼動のすべてにわたって、肥大化した官僚機構と複数の巨大企業からなる怪物的大プロジェクトであり、そのなかで個々の技術者や科学者は主体性を喪失してゆかざるを得なくなる」「自然にはまず起きることのない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、自然界にほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作りだすようなことは、本来、人間のキャパシティを超えることであり許されるべきではない」。この世論を野田政権は見誤ってはいけない。
 話は変わるが、作家・辺見じゅんさんが亡くなった。富山発の短歌誌「弦」に多少関わらせてもらい、吉祥寺の自宅にもお邪魔した。老人のわがままで辞すことになる苦い思い出もあるが、いまはご冥福を祈りたい。坂本が1高入学時に手にした阿部次郎の「三太郎の日記」はわが書棚の最初にある。角川書店刊で260円。発行者は辺見が尊敬する父・角川源義だ。みすず書房創業の小尾俊人の最後の著書となった「本は生まれる。そしてそれから」は、辺見が起こした幻戯書房から刊行されている。

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