「最強のふたり」

「みんな!70歳になったからといって守りに入っちゃだめ」。この夏に開いた古稀祝いの同期会で、八ヶ岳に住まいを構えるN女史が一言といって立ち上がり、こう檄を飛ばした。古稀にちなむ川柳を募集したのだが、「残高と余命を計る古稀夫婦」が優秀賞となり、ひとしきり老後破産が話題となっていた。そんな空気に我慢できずにバカヤローという次第である。一番記憶に残るスピーチとなった。このところの嘆き節気分をちょっと変えたいと思っていた時に、彼女の檄がよみがえった。そして、そんな気分にふさわしいと手にしたのが「最強のふたり 佐治敬三と開高健」(講談社)である。
 そういえば最近いつも車中に置いているのがサントリーのヨーグリーナだ。コンビニのショーケースに「売れています」と手書きのテープが張られていた。きっとサントリーの若い営業のアイデアなのだろうと思って手にしたのだが、これが病みつきになり欠かせない。佐治敬三がパーティに出ると、ポケットから栓抜きを取り出して自社のビールを片っ端から栓を脱いだというエピソードを思い出した。ちょっと余裕のいたずらだが、ビールを売りたいという執念である。売るということに掛けては追随を許さないが、文化というオブラートに包んで嫌味を与えない。「やってみなはれ みとくんなはれ」の関西弁キャッチフレーズもいい。原点はサントリー宣伝部にあることは間違いない。
 佐治敬三と開高健の出会いは、開高の妻である牧羊子が演出した。既にサントリーで職を得ていた牧が、子供ができてミルク代に事欠く状況を佐治に愁訴して、自分が辞めるから旦那を頼むということで宣伝部配属となった。宣伝部は三和銀行の宣伝担当であった山崎隆夫に一切を任せるからと引き抜き、イラストの柳原良平、坂根進、山口瞳が駆け参じた。全国にトリスバーなどの洋酒バーが雨後の筍のように出現する状況を捉えて、何かいいノベルティがないかということで伝説のPR雑誌「洋酒天国」が世に出る。編集長が開高健。コマーシャル色を一切排除して、面白くてタメになり、最高のエスプリと色気を含む遊びをこれでもかと注ぎ込んだ。人材をどう集めるかは企業が苦境を乗り越えていく最大のポイントだということだ。昭和31年のことである。サントリーオールドで成功を収めて佐治は同35年、ビールへの進出を決める。「聞きましたぜ、やるんでっか」という開高に応えて、「やる!命がけでやる」と佐治は決意を語る。
 この挑戦の背後に、敬三が鳥井家から佐治家へ養子に出された謎が秘められている。昭和6年ウイスキー事業が躓いていた上に「オラガビール」の失敗も重なり、資金繰りが急速に悪化した。その窮状を養子に出してその持参金で埋めたという真相である。事なきを得て鳥井信治郎の長男・吉太郎が後継となるが急死し、養子に出された敬三が後を引き継いだ。
 著者の北康利は銀行出身ということもあり、言語感覚は上滑りしているが、この二人の性格を「繊脆(せんぜい)」と評している。サントリー美術館、サントリーホール、筆者が最も感心した鬼太鼓座結成時のサポートなど「でっかく儲けて、でっかく散じる」まるで最後の旦那衆というが、その実は繊細さと脆さを秘めつつ、ごっつおもろい生き方をしてみせたというのが真実である、という。
 ビール事業は45年間も赤字を計上し続けたが、平成20年やっと黒字化した。「もしサントリーがビール事業に進出していなかったら、今ごろサントリーはどこかに消えてなくなってましたやろ」と佐治はうそぶいている。繊脆なる団塊高齢世代よ、守りに入るな!ここは大見得を張って、やってみなはれに応えるべきだろう。

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