衝撃の哀しみ

16日夕刻、36歳の娘は台所で焼身自殺をしました。やつれた表情で父である友人からそう切り出されて、一瞬声を失ってしまった。衝撃をようやくの思いでおさめて、「辛かっただろう」と声を出すのが精一杯だった。
 統合失調症を発症したのが高校時代だから、ほぼ20年になる闘病である。3.11以降は特にひどい症状をみせていた。テレビ放映をずうっと眺めていたと思うと、東北弁での奇声を発し続ける。幻聴に答えているのだろうか、止まることがない。時にレイプされた、財布が盗まれたと自ら警察に電話することもあった。入退院を繰り返していたが、病院の近くに安い中古住宅をもとめ、自立も想定しながら、母親がいつも連れ添う形で生活を送っていた。その日は母親がコンビニに買い物に出たちょっとした隙に、灯油の残りを床と自らにぶちまけ、火をつけてしまった。動転した母親は緊急通報と思うがどうすることもできず、向かいの家に、助けて!と飛び込んだ。幸いにして類焼は免れたが、娘の命を救うことはできなかった。
 医師から電気ショック療法も選択肢であると薦められたが、母親はきっぱりと断った。麻酔をかけて、ものすごい痙攣が起きる。そんなことは想像したくもないし、この子の脳を電気ショックでリセットするということは、この子ではなくなることではないですか。まるでロボットではないですか。そんなことはできません。
 暗然とした気分だが、素人ながら思いをめぐらせてみる。精神医療の方向は、入院治療から地域で生活しながら治療していくことになっているが、こうした事実が明らかになれば近隣の人は受け入れ難いというに違いない。万一類焼していれば、損害賠償請求ということも考えられる。そんなこともあり、日本の精神科の病床数は欧米先進国に比べて2倍も多く、長期入院が際立っている。このままでは負の連鎖思考となり、変わることはないだろう。
 この夫婦も一度は浦河「べてるの家」への移住も考えていた。「治さない医者と治ろうとしない患者」という非常識で、娘のそれをありのまま受け入れてくれたら、ひょっとして笑顔を取り戻してくれるのではないか。そんな希望でもあった。
 そこでのこんなエピソードも思い起こしていた。浦河に移り住んだ少年が同じ統合失調症患者に殺される事件があった。その少年の父は葬儀の席上で、次のように言い切った。「息子の笑顔をこの浦河で初めて見ることができました。地域のみなさんの中に溶け込ませてもらったおかげであることは間違いありません。この子の死をきっかけにそんな試みを中断してほしくはありません。親としては悲しく、悔しい思いもありますが、みなさんの試みは決して間違ってはいません。これを乗り越えて進んでいただくことを切に願っております」。
 思えば、生き辛い世の中にどう合わせていくかで誰も悩んでいる。我慢に我慢を重ねている。そこをちょっと逸脱してしまって、内的な自分が統合できずにいるのが統合失調症ではないだろうか。一歩間違えば誰しもそうなる可能性があるのだ。言い換えれば、彼らは受難者として選ばれたともいえる。身代わりになって引き受けてくれているのだ。そうであれば100%の安全を求めず、そこそこの犠牲を受け入れる想定での社会システム作りが必要ではないだろうか。
 はてさて、人間を統べる脳というのは一体何なのか。脳に統べられる人間とは何なのか。人類が出現してどのように脳が進化してきたのか、果たしてそれは進化なのか。暗い日々である。

© 2020 ゆずりは通信