遺稿詩集「歳月」

すっと手が伸びた。清明堂の新刊図書コーナー。亡くなった茨木のり子の詩集である。花神社刊 1900円。「歳月」と題され、奥付けを見ると、第1刷2007年2月17日とある。昨年同日、くも膜下出血による、79歳での孤独死であった(?300「言の葉さやげ」参照)。1周忌にあわせて出版されたのだ。心憎い演出の遺稿詩集ということになる。あとがき「Yの箱」で、甥の宮崎治が書いている。
 「Y」は75年に死別した夫・三浦安信の頭文字。小さくYと記されたクラフトボックスが書斎の隅から発見された。伯母愛用の無印良品のその箱には、推敲が済み、清書され、几帳面に1篇ごとにクリップで留められた未発表の詩と、詩のタイトルを順番に並べた目次のメモ、草稿のノートなどが収められていた。出版の話は既に、花神社の大久保代表に生前「最後の詩集はよろしく」と伝えられていた。一種のラブレターのようなもので、照れくさく、自分が生きている間には公表したくなかったのである。
 といっても、万全の原稿ではなく、誰かが判断して、故人の作品を世に送り出さねばならない不安もあった。確かに、照れくさいというだけあり、果たして本人はこのすべての発表を望んでいたのであろうか、ということなどだ。
 私生活を見せない彼女にして、何という大胆な、という詩もある。
「セクスには死の匂いがある/新婚の夜のけだるさのなか/わたしは思わず呟いた/ どちらが先に逝くのかしら/わたしとあなたと」(「その時」より)
「恋に肉体は不要なのかもしれない/けれど今 恋いわたるこのなつかしさは/肉体を通してしか/ついに得られなかったもの/どれほど多くのひとびとが/潜って行ったことでしょう/かかる矛盾の門を/惑乱し 涙し」(「恋歌」から)
 違和感があるといえばあるのだが、これも彼女の一面といえば、確かにその通り。戦後の世のあり方を、生き方を問い続けたものとは違い、夫への愛、夫婦の心の機微から、惜しげもなく、言の葉をくみ出し、注ぎ込んでいる。23歳で、8歳年上の医師に嫁ぎ、25年間にわたる生活だった。「(自分の世界を持つことを)夫が理解してくれ、育てようとしてくれた。上等の男性でした」と話したこともある。
 おのろけの詩でもあるが、これは共感できる。
「おたがいに/なれるのは嫌だな/親しさは/どんなに深くなってもいいけれど/中略/狎れる 馴れる/慣れる 狃れる/昵れる 褻れる/どれもこれもなれなれしい漢字/そのあたりから人と人との関係は崩れてゆき/どれほど沢山の例を見ることになったでしょう/気づいた時にはもう遅い/愛にしかけられている怖い罠」(「なれる」から)。
 同年同日生まれにして、茨木のり子の生まれ変わりと信じている孫娘は、満1歳を過ぎて、最も手がかかる時。よく食べ、よくウンチもする。ハイハイのスピードもけた違いに早くなった。なれ合わないように心がけなくてはならない。
 はてさて、富山市総曲輪の清明堂書店である。真向かいにできる大和百貨店に、紀伊国屋書店が北陸最大の売り場面積で出店するという。虫の息を止めるような結果になるのかどうか。紀伊国屋にしても、どんな出店戦略に基づいているのか聞きたいところだ。大和金沢香林坊店に出店しているが、とても採算が取れているとは思えない。やや高齢女性対象の百貨店客層に、それ程の書籍売場が必要なのだろうか。大いに疑問である。地下食品売り場を充実してほしいのが一番の願いで、その噴水現象の一翼を担うことだけは明言しておきたい。噴水現象とは、顧客が地下売場から上の階にのぼって行くこと。

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