大学改革の行方

9月中旬、上越新幹線の車中。後部座席に、高崎から乗り込んできた若い二人の話が聞こえてきた。一人は大学病院の脳外科の医師、いまひとりは大手製薬会社のMR。MRというのは医薬品情報担当者。医家向けの薬品販売に欠かせない存在で、その育成、優秀な人材の引き抜きに製薬各社がしのぎを削っている。昔はプロパーと呼んでいた。イメージとしては医師にかしずいている感じだが、最近はそうではなく、医師への大事な情報伝達人となっている。
 「先生疲れるでしょう。」「大学の研究室とは大違いだね。病院から5分の寮だから、携帯で呼び出されてばかりだよ。脳外科は僕一人だからね。」「見ていてそう思いますよ。給与なんか差がついているんですか。」「いま病院では個人別の診療収入でランク付けをしているんだ。もちろん僕がトップで、小児科や内科の総額より多いよ。脳梗塞で担ぎこまれた患者を10時間以上診るんだから、保険診療点数も比較にならないしね。そのまま給与に反映させるわけにもいかないんだ。院長も気を使って必要な機材があったらいつでもといってくれる。」「ああそれから、癲癇の分かりやすいパンフないですか。癲癇は自分でも気づかずに、家族にも正確に理解されてないケースも多いから。」「来週早々にお届けします。」
 医師は30歳前後だろうか、落ち着いた話し振りで好感が持てた。MRは40歳前後で、抜け目のない感じだ。これも職業柄でそれでいい。二人のやり取りから、医療現場にも希望がほの見えた。看護師も、患者も、こうしたMRも、医師と対等にコミュニケーションができるかどうか、がポイントだ。医師の方に問題は多いのだが。
 国立大学はこの4月に独立法人化したが、現場はどうであろうか。金沢大学附属病院の前院長はいう。予算が厳しいし、漫然とした病院経営は許されない。法人化して学長権限が強くなり、医学部の独自性が許されなくなってきている。なにより、基礎的研究が加速度的におろそかになる危険性がある。そうなると医療の先端を担ってきた医学部、大学病院のレベル低下が免れない、と。同大学の研究室は劣悪というものではない。古色蒼然の建屋、廊下に所狭しと並べられた低温維持の医療研究機器、冷蔵庫。足の踏み場もなく、身体を斜めにしないと廊下が歩けない。角間の新校舎より、こちらを優先すべきではないか、医学部こそ金沢大学の最大のセールスポイントなのだからと思わざるを得ない。
 法人化なった国立大の学長選挙がし烈になってきているのも、切り詰められた予算の分捕り合戦の意味合いが強い。相当混乱が続き、加えて文部科学省の頭の固い官僚主義がそれに拍車を掛けることになることは間違いない。しかし、一度落ちたレベルが引き揚げるのは非常に難しい。法人化だけが、一人歩きする愚を避ける法があるのだろうか。北陸銀行から富山大学監事に転じた知人も、大学人のマネジメント能力に大いに疑問を感じ、至難のことと嘆じている。
 もうひとつ、新幹線の同医師がいっていた。苦労の多い、激務の脳外科志望が最近極端に減ってきている。といって給与だけ高くすれば解決するものではありませんからね。これも頭の痛い問題である。
 さて、解決策だが、純血主義を捨てる決断も必要だ。同じ大学で、助手、助教授、教授と上り詰めた人に、この変革期のリーダーは務まらないと思う。海外を含めた3つ以上の大学経験を持った、50歳前半ぐらいがリーダーイメージとして浮かんでくる。ホンネを抑圧せず、むしろ隠れたホンネを引き出すくらいの度量があって、それを組織化できる能力がポイント。法人化がわかっていても、それがある種の強制が働くために身動きがとれていない良心的な大学人が多い。この人たちを切り捨ててはならない。

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