ある大学の死

首大といってわかる人は何人いるだろうか。正式名称「公立大学法人首都大学東京」。今年4月に開学、6日に入学式が行われた。東京都立大学、東京都立科学技術大学、東京都立保健科学大学、東京都立短期大学の都立4大学が統合した新大学といいたいが、そうではない。石原都知事がこの4大学をぶっ壊し、延長線上ではない新大学を設立したのだ。「今、大学に行っても、何かあまり面白くないと感じている学生が大勢いるでしょう。私自身、もう何十年も前ですけど比較的官学の中の私学と言われているような割と自由な大学を出ましたけれども、それでもあまり勉強はしませんでした。というのも、大学の先生も毎年同じ講義を繰り返している人ばかりでした」が開学に寄せたメッセージ。「三国人」「支邦」と呼ぶ同じ思い込み、ひとりよがりの発想で、貴重な都立大学資源を破壊させてしまった。
 03年8月1日、新大学構想発表の記者会見が始まりだった。都立4大学の総長・学長が呼び出され、今まで協議を進めてきた改革案が一方的に破棄され、学部構成も、キャンパス配置も異なる案が押し付けられた。「この構想に賛同しない教員は辞めたらいい」と都知事は会見で恫喝して見せた。
 狙いのひとつは、同大文学部文学科5専攻を解体することにあった。英文、独文、仏文、中文、国文が跡形もなく消えて、首大都市教養学部となり、現定員133名を64名に半減した。しかもあと5年存続させるという都立大学の継続教育もこの減員した新体制でやってくれという。湘南高校時代にフランス文学に傾倒したという作家石原慎太郎の近親憎悪といっていい。東大より一ツ橋、仏文教授より作家の自分と、いつも自分が一番という児戯にも等しい錯覚に陶酔するタイプ。他にも単位バンク制、教員の任期制、業績による年俸制など大学株式会社を思わせるものが並んでいる。そしてカリキュラム作成過程では、河合塾に3000万円で業務委託している。現在の教員には何にも口出しさせない、それが改革だという依怙地さだ。もちろん、実行部隊は側近と石原個人人脈。山口大学管理本部長であり、西澤潤一学長らで、飼われた番犬よろしく突っ走った。
 それでも新大学構想の発表以来、法学部の4教授が辞任し、法科大学院の入試が延期となったり、署名運動や反対声明を出され、4大学を横断する「開かれた大学改革を求める会」が立ち上がった。その代表に就任したのが西川直子仏文科教授で、たまたま集まったメンバーの最年長であったからという町内会感覚のウブさだ。
 04年2月、赤子の手をひねるような反撃がなされた。新大学に就任するか否かを問う「意思確認書」。全教員に踏み絵が送りつけられたのである。当然、恫喝文書も添えてある。この最初の一撃で、早くも組織に動揺が起きた。未提出で抗議しようという意見よりも、全員提出してそれから抵抗しようとする意見が強まったりして、3月末には96%が提出したのである。あっという間に抵抗は収束していった。西川代表が「勝ち誇った独裁者は更なる屈辱を強いてくる」というように、学内の集会や文書配布は許可制になり、法人の名誉信用を失墜する行為や秩序規律を乱す行為は禁止するという就業規則が盛り込まれた。最終的には7月の大学認可に必要な「就任承諾書」によると、510名のうち25名が未提出となっているが、その前に100名以上が辞職転出しているという。
 これで大学といえるだろうか。同大仏文科を中退した内田樹(たつる)は「日本の高等教育史に残る劇的な失敗例になる」と明言している。今年の受験でどんな層が受験したかどうかわからないが、これから注目だ。同様に中田宏横浜市長のもとで、横浜市立大学の“改革”が強行されている。大阪市立大学は、あの市政の混乱振りからは手がついてないと思うが要注意だ。
 そういえば94年富山県立大学の開学時、中沖前知事が初代学長に西澤潤一当事東北大学教授に執心していた。結果的に藤井澄二学長に落ち着いたが、現在の西澤首大学長の抑圧的な態度を見ると正解であった。
参照:「世界」04年7月号「都立大学問題」、05年5月号「ある大学の死」。

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