人間というのは、いや人類とは何者なのか。4月28日大阪・国立国際美術館の「古代メキシコ展」を見ているうちに、そんな疑問が突きつけられた。紀元前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻まで、3千年以上にわたって繁栄したメキシコの古代文明「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」。それらの文明を担ったのは、アジアで寒さに強いモンゴロイドとなった人種がベーリング海峡を越えて北米に到達し、住み着いたからに他ならない。更にいえば、170万年前にアフリカのサバンナで誕生したホモ・サピエンスが、脳が猿人の2倍となり、二足で歩行し、火を使うことで、飛躍的な移動能力を獲得した。東アジアに到達して、寒冷地に適応したモンゴロイド、我らが尻にある蒙古斑がその証明だが、好奇心の赴くままにあのベーリング海峡を越え、メキシコに到達したのである。
このことを初めて知ったのは、20年前の黒部美術館での「変遷する生の詩~深沢幸雄展」。深沢は銅版画作家で、1955年東京国立博物館でのメキシコ展で、20余トンもある大頭の石像作品に打ちのめされ、それがアジアン・モンゴロイドであるオルメカ族が作ったことを知り、あるひらめきを得てメキシコに渡る。彼の地でテキーラを飲みながら、仕上げたのが「凍れる歩廊(ベーリング海峡)」。二つの瞳がきらきらと輝き、インディオ模様と星座が悠久を表現している小作品だが、いまだに記憶に残っている。
はてさて古代文明の人間たちは、どうも生死というものを解明しようとしたのではないか。彼らの中心にあった「祈り、畏れ、捧げる」セレモニーのそばに生贄、人身御供があった。心臓が抉られて、供えられた。「生贄文化」といっても過言ではない。解き明かせないものの奥に神が存在したのだろう。太陽が昇り、月が沈むのも、生死が根底にあるのではといぶかり、暦法に気付き、マヤ文字が生まれ、大はピラミッドから、小は装飾細工品が作られていった。生贄は生命の再生を祈ってのものかもしれない。
現代文明においても、生死は科学的に解明されているが、心の中にすとんと落ちているかというとそうでもない。天に任せるしかない、と誰しも思っている。アフリカを出て以来、人類のこころは進歩していない。
さて、メキシコといえば戦前日本のプロレタリア演劇の先駆者であり、「メキシコ近代演劇の父」と呼ばれる佐野碩を忘れてはならない。ソ連にわたり現代演劇の革新者メイエルホリドに師事し、スターリン粛清の嵐をかいくぐり、亡命同然にメキシコに渡った。ソ連ではロシア語を駆使し、メキシコでは日本語を忘れてスペイン語を母語のように話したという。盟友である村山知義や千田是也から帰国を促す手紙が舞い込むがこだわる風ではなかった。ソ連でも、メキシコでもそれぞれ伴侶を得ていた。もちろん日本の細君には離婚を納得させている。そのスケールの大きさは、モンゴロイドDNAのなせる業かもしれない。
われわれも、いま一度尻の蒙古斑を見直して奮い立たねばならない。