女優というもの

ちょっと気持が怯んで、見逃した演劇がある。今でも悔しく、残念に思っている。05年の劇団民藝創立55周年記念公演「火山灰地」だ。大作で1部、2部とあり、続けて2度上京しなければならなかった。久保栄の作だが、「日本演劇史に燦然とかがやく金字塔 リアリズム戯曲の最高峰といわれる人間ドラマ」と謳いあげてあった。
 吉行和子が女優人生56年を綴ったエッセイ集「ひとり語り」が面白い。女優業と私生活をあっけらかんと語って飽きさせない。その彼女が「火山灰地」に出演している。「しの」という娘の役だが、その役つくりのエピソードだ。抱えきれない悩みを胸に、臙脂の角巻きに身を包み、恋人の炭焼き小屋を訪ねるシーンのために、実際にその舞台となった音更(おとふけ)に行き、十勝平野の炭焼き小屋まで歩いていく体験を語っている。舞台の上では5,6歩くらいのものだが、その足の感覚を身につけようとの勉強である。こうやってひとつひとつ舞台を丁寧に創っていく、よき時代だった。久保栄といえば、劇団のどんな偉い方でもカチカチになる恐ろしい存在だったという。その久保が首吊り自殺をした時に、自由が丘の自宅に駆けつけ、棺に入った姿も見ている。
 喘息で学校にまともに行けず、将来の夢もないと思っていた中学3年の時、美容師の母・あぐりがお客さんにチケットをもらったといって、民藝公演に連れて行ってくれた。これがきっかけである。こんな世界があるのだと知り、それも最初は衣裳係を目指しての民藝入団であった。その頃は俳優座、文学座、民藝の三大劇団がしのぎを削り、千田是也、杉村春子、滝沢修、宇野重吉などが活躍する、新劇全盛期の50~60年代だ。
 吉行は「アンネの日記」の主演抜擢で、演劇界の魑魅魍魎もしっかり体験して、この世界で生きていく心構えもできた。島崎藤村作の「夜明け前」では滝沢修の女房役など、いろいろ役にも恵まれた。ところがある時、寺山修司から「民藝やめたら」「演技派女優っていわれないように」と挑発を受ける。そんな時、宇野重吉演出の「白い夜の宴」で何度稽古をしてもできない壁にぶち当たっていた。頭で解決しても、身体が動かない。どういうわけか、ひとりになりたいという衝動も重なり、4年間連れ添った同じ民藝の夫に別れを告げることになる。必然的に民藝退団も重なる。そして、鈴木忠志の早稲田小劇場「少女仮面」への出演となっていく。フリーとなった女優にいろんな出会いが彩ることになる。
 さて吉行3兄妹の愛情表現である。母あぐり同様、表面は素っ気ないのだが、意外とその絆は深い。兄・淳之介も妹・理恵も芥川賞受賞作家だが、そこらにある兄妹と変わらない。「いやはや、怖いもんだ、男には到底理解できない、子宮だ、子宮がなせるわざだ」と呻きながら、終生女性関係に悩み、「女は怖い」といい続けた兄を「可哀想な人だった」という。兄の小説は、兄の生身の心が現れてくるので、胸がしめつけられ、いまだに読みきれない。海外旅行には、引きこもりがちの理恵を誘っている。サンフランシスコでの出来事を、姉への悪意のように小説で書き込まれたが、もっと妹にネタを提供しなくては、と張り切るように思いやる。女優という仕事でしか生き残れなかった。そんな述懐が妙に印象に残る。
 いまひとつ「火山灰地」の舞台美術だ。初演の担当は伊藤憙朔(いとうきさく)。父は建築家、千田是也は弟と華麗な家系で、自らも芸大で西洋画を専攻している舞台美術の先駆者である。火山灰地の舞台道具の製作は、久保との打ち合わせも緻密さを極め、演技の方が埋没しないかと心配されるほどの出来であったという。数年前に、紀伊國屋で伊藤憙朔賞展を見たのだが、圧倒された。
 参院選も終わった。政治もひとつのショー商品のひとつになってしまった。消費し、消費される時代といってしまえばそれまでだが、日本中が二重基準を持っていて、ある時はこのカード、この時はこのカードでは、まるで混迷を自ら選んでいるに過ぎない。新聞もテレビも同様で、その責任は重い。
参照/「ひとり語り」吉行和子著 文藝春秋刊。「新劇の書」久保栄著 影書房刊。

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