非常時にどう対応するのか。そんな組織は、人材は果たしているのか。そんな視点で周囲を見渡すといかにも心寒くなってくるが、したり顔で「あれがこうなって、これがこうなって、すべてが計画通りにゆけばうまくいく」と希望的な観測を並べ尽くす輩はいるが、とても信じるわけにはいかないのが今日おかれている現実である。「街場の戦争論」(ミシマ社)はそんな不安を抱える凡人にストンと胸底に落ちる快著といっていい。面白い。ご存じ内田樹・神戸女学院大学名誉教授だが、作家・高橋源一郎と並んで信頼できそうな論客と思っている。
知的なエクササイズとして提案するのは「歴史のもし」。42年のミッドウェー海戦での壊滅的な負け戦のあとで日本が講和を求めていたら、という仮定だが、この道しかないという日米同盟基軸・対米従属路線はあり得ない。こんな推論が続く。
この戦争での戦死数230万人の大半は、44年に絶対国防圏を破られてからのものでこの時点で講和となれば激減していることは間違いない。北方領土もソ連参戦がないので問題はなく、沖縄戦も闘われてないので、米軍が血で購ったとする沖縄に米国が固執することもなく、基地に70年間も居座ることはないだろう。何よりも惜しいのは大正生まれの男子1350万人のうち200万人が戦死していること。この世代が戦争責任を追及し、次の戦争で米国に勝つためにどうするかをリアルにクールに吟味することができたのではないか。誰がこんな愚かな戦争を始めたのか、どこから日本の仕組みは狂ったのか。その政策決定過程についての証人が生存し、証拠文書が残っている。随分と違った日本が見られたことは間違いない。戦争の原因が自力で検証できないくらいの徹底的な敗戦ということで敗戦を否認している。不愉快な現実から眼を背ける思考停止の病的傾向が続いているのだ。
更に続けてフランスに言及する。ナチス・ドイツによるフランス占領は、40年から44年のノルマンディー上陸作戦まで続いた。ナチスの後方支援国であったのだが、誰もフランスを第2次大戦の敗戦国だと思っていない。この4年間がまるでなかったかのように錯覚させているのがドゴール大統領の存在だ。自由フランスを率いて敗走するドイツを痛撃したのだが、身を挺して傀儡ヴィシー政権を批判し、その相手に命がけで戦った軍人たちがいた。最終的に彼らの存在がフランスの主体性と無実を担保したといっていい。翻って東京裁判での日本の戦犯たちは、戦争責任について無罪を主張した。私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事には成り行きがあります、と答えた木戸幸一内相に尽きるのだが、大日本帝国から日本国に変わるのに、正当な後継者を持ち得なかった。戦後レジームからの脱却を叫ぶ人もいるにはいるのだが、靖国参拝でその資格がないということも明らか。
これも逆説だが紹介しておきたい。機密が漏洩しないと戦争リスクが高まるのだ。これは真理である。情報を漏らさない北朝鮮は安全だといえないことは誰にもわかる。「情報を出さない国」より「情報が漏れる国」の方が安全といえる。特定機密保護法はそういう意味からも愚かな法案ということになる。
はてさて結論だが、平時においてできることは「もしかしたら、この人が危機的状況で大化けして、救ってくれる人ではないか」というリーダーになるかもしれない人を、その辺うろうろできるような「ゆるい」環境を作っておくことくらいだ。せこいイエスマンではなく、「昼あんどん」といわれるような大人(だいじん)だが、あなたの周りを見渡して果たしているでしょうか。無駄でもいいのです。とにかく「ゆるい」がポイントです。
「街場の戦争論」