「人生フルーツ」

富山市の中心商店街・中央通り、といっても今は人通りもまばらだが、昨年末ミニシアターほとり座がオープンした。カフェで映画を見るという感じで、不揃いな椅子が雑然と並ぶ15席程度だ。ぜひ見てほしい映画だということで、完全予約制のところを2月22日無理矢理入れてもらった。高齢者割引がありますといわれ、悪いですねと1600円を1300円にしてもらい、フリードリンクのゆず茶までいただいた。ビジネスマンとおぼしき若い人も4~5人いて、雰囲気はアットホームだ。東海テレビ製作の「人生フルーツ」は、名古屋から快速で30分の春日井市高蔵寺ニュータウンを映し出す。59年の伊勢湾台風で低地に住んでいた5千余人の命が失われ、翌60年に高台移転で計画されたのが高蔵寺ニュータウン。当初の8万人から減じて現在4万5千人が暮らしている。このプロジェクトを担ったのが日本住宅公団のエースと呼ばれた津端修一で、阿佐ヶ谷住宅、赤羽台団地など多数手がけている。映画は秀子夫人との団地の日常を淡々と綴ったドキュメンタリーだ。こんな老後の暮らし方があるのか、と団塊世代には必見であり、ずぼらで不精の身には叱咤激励の警告でもある。
 風が吹けば、枯れ葉が落ちる。枯れ葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、果実が実る。こつこつ、ゆっくり。人生、フルーツ。このままに人生を送る90歳と87歳の老夫婦の暮らしぶりだが実に活動的で清々しい。住むのは自ら立案した高蔵寺ニュータウンの一隅300坪で、集合住宅を出て土地を購入した。ニュータウンは思い描いていたものとは程遠く、無機質な街になっていた。逃げずに自らここに住むことを選び、その責任を取ろうとしたのだろう。平らになった土地に里山を回復するにはどうしたらよいか。そんなテーマに取り組む中で、それぞれの家に雑木林を育て、新しい緑のストックを作ろうという実験でもある。尊敬する建築家アントニン・レーモンドの自邸に倣った母屋は30畳一間で玄関はない、雑木林に囲まれ、キッチンガーデンでは70種の野菜と50種の果実がふたりの手で育てられる。文字通り、こつこつ、ゆっくり。小鳥の水浴場があり、心を癒してくれる。
 秀子夫人の料理ぶりがいい。庭でできた野菜がそのまま美味しいごちそうに変わる。旬な果物や冷凍の料理を娘や孫に送ることも無上の楽しみとしている。「茨木のり子の献立帖」(平凡社)でもそうだが女が生き生きするのは台所である。それぞれ愛する人を得て、これほどまでに料理に愛情を注ぐのかと驚かされる。月1回通う名古屋の市場での買い物ぶりだが、魚や肉やなど顔なじみでそのやり取りが心地いい。一括して届けてもらい、その日のものを残し、手際よくダブル冷凍庫に納まっていく。小まめな修一はそんな魚屋などに料理の絵手紙を送っている。日常を大事に生きているのがよくわかる。夫人は刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合い、細やかな気遣いと工夫に満ちている。「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、建築界の巨匠ル・コルビュジエの言葉だが、燻製器から石臼までそろっている。
 修一の死だが、ちょっと昼寝をするといって帰らぬ人となった。建築史家の藤森照信がこう評している。ダンチの性格を変えた人、ヨットで太平洋を駆ける人(東大ヨット部で、ヨットにだけは金を惜しまなかった)、老後も何かしらしている人、この三つを昭和26年に東大を出た建築家がしている。人生最後の仕事は伊万里市の精神科病院のプランだった。雑木林が活かされている。最期はかくありたいものだ。
さて、これほどのドキュメンタリーをローカル局の東海テレビがよく製作したものである。監督の伏原がプランをイメージし、プロデューサーの阿武野がゴーサインを出して、社内調整などをやったらしい。人材もさることながら、社風もよほど良いのであろう。番組、そしてDVDに耐える映像の質を持つ。一粒で2度おいしい作り方は、これからの民放の在り方かもしれない。ほとり座では、人生フルーツのアンコール上映を3月18日~25日まで予定している。
 見終わって中央通りを歩きながら、シャッター街の往時を思い出していた。

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