古代史ロマン、黒岩重吾ワールド

黒岩重吾の古代史小説を愛読するようになって何年になるだろうか。発売を知ると心を躍らせながら、いそいそと書店に向かう。今回は

「伝」(上下巻)。
彼の最も得意とする、大化の改新から壬申の乱に向かう
の多彩な人間模様。はじめて一人称で語る手法で黒岩ワールドへ誘う。

仏教伝来を機に、守旧派・物部氏を倒し台頭した蘇我氏。この政治権力の前に聖徳太子も志半ばで挫折し、ついにその子・は蘇我入鹿によって殺されてしまう。「王の慟哭」(中公文庫)である。そして入鹿の野望、野心は大王をも脅かすまでに強大なものなっていく。これに強い危機感をもった中大兄皇子は、と図り、入鹿をおびき出し、皇子自らの刃で刺殺してしまう。しかも大王はじめ群臣居並ぶ目の前で行う。その強い意志が、畏怖が人心を掴み、そのことにより権力を一手に握り、律令国家体制を確立していく。

黒岩の小説手法は、人間の心に潜む暗い部分を描いていく。例えば嫉妬心、これは女性だけに限らない。男のそれこそおぞましく、苛烈な仕打ちとなっていく。微妙に相容れない好き嫌いの生理的な感覚、特に母親に見られる肉親への偏愛など。それらが人間の歴史を微妙に変えていく。

異父妹・との禁忌愛。これが母・斉明大王との確執となるし、弟・(天
武天皇)への屈折した心理は、その恋人の略奪となる。これが壬申の乱の伏線となっていく。禍福がないまぜになり、時に味方し、時に敵対し、折り重なって進んでいく。

壬申の乱で勝利を手にした天武天皇の後継をめぐり、またまた繰り返される。謀殺された大津皇子の悲劇を題材にした「天翔ける白日」(中公文庫)もいい作品だ。

黒岩がはじめて古代史小説に取り組んだのは「天の川の太陽」(中公文庫)。これで吉川英治文学賞を受賞している。そもそものきっかけは旧姓中学の受験に二度失敗し,奈良県立宇陀中学に入学したこと。宇陀の地は推古天皇が薬猟をしたり、薬草園があったりで古代史の遺跡も多い。宇陀中学で学んでいなければ古代史にこれほど興味を持つことはなかったといっていい。塞翁が馬を地でいくもの。彼の文学の原点は何といっても、株相場と酒と女。昭和23年、戦後初めての株ブームに沸く大阪・北浜の証券会社に大学を卒業して、入社する。そこでの数年で、株の暴騰、暴落を体験して、文字通り天国と地獄を味わう。すってんてんになり釜ケ崎のドヤ生活も経験。小説というものは、挫折し挫折し、心に深い傷を受けて書くものだ、が黒岩の信念。いまでもジャンパーをひっかけて北の新地を徘徊する。彼の手帳には、美人ママ、ホステスの電話番号が記されているという噂だ。もし古代史小説の新境地を切り拓く事がなければ、破滅型の小説家で終わっていただろう。

大化の改新ムシゴヒキ(645年)、と歴史を教えたのは誰だ。それをただひたすら覚えた馬鹿は誰だ。無味乾燥な歴史教育に問題あり。歴史の教師は60歳以上というのはどうだろう。そのくらいでないと、人間を捉えた歴史は教えられないと思う。

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