言の葉さやげ

清談。耳慣れない言葉だが、俗事名利を離れ、かつ豊穣きわまりない会話のやりとりをいう。飲もうかと誘い誘われて、別れたあとの後味が何ともいい、と思う時がそうである。なかなかに難しく、数少ない。恐らく相手というよりも、こちら側に問題が多いというべきかもしれない。中傷誹謗、独りよがりの悲憤慷慨、俗談につぐ俗談になりはてて、つい相手に合わせていると、いつか自分の方が相手より下卑た品性ではないかと愕然としてしまうケースだって意外に多い。次なる酒席が億劫になる。寂しさを紛らわそうと、相手かまわず、もたれ合うなという警告でもある。
 これは男同士だが、女同士も大変だ。「女同士で話しているより、男と話している方がおもしろいし、得るところがある」という女性が圧倒的だ。女同士が腹をわって話すという事は、共通の知人、友人の悪口を思うさまぶつけて、そのことによって、盟約を結び親友となることを指す。しかし、その親密度が頂点に達すると、何かのきっかけであっという間に砕け散る。親密度が強いほど離反の力が大きく働き、親友変じて断じて許せない裏切り者となる。何ともうそ寒い関係だが、思いあたることが多い。
 茨木のり子の詩に「清談」と題するものがある。「清談をしたくおもいます/物価税金のはなし おことわり/人の悪口 噂もいや/我が子の報告 逐一もごかんべん/芸術づいた気障なのも やだし/受け売りの政談は ふるふるお助け!/日常の暮しからは すっぱり切れて/ふわり漂うはなし/生きていることのおもしろさ おかしさ/哀しさ くだらなさ ひょいと料理して/たべさせてくれる腕ききのコックはいませんか/私もうまくできないので憧れるのです/求む 清談相手/女に限り 年齢を問わず 報酬なし/当方40歳(とし やや サバをよんでいる)」
 その茨木のり子が逝った。昨年暮れの石垣りんに続く得がたい女流詩人の訃報である。1975年に夫を亡くし、ずっと一人暮らしだったから、誰にも看取られない孤独な死だった。2月19日親族が連絡を取ろうとしたがまったく返事がなく、心配して自宅を訪ねて異変を知ったという。その死について委細はわからないが、眼病が重く何かに躓いての打撲が原因とも聞く。79歳だった。同じ境遇ゆえ他人事とは思えない。
 訃報を聞き、引っ張り出してきたのが「言の葉さやげ」(花神社刊)。版を重ね20版となっている。75年11月が初版だから夫を亡くした年と重なる。5月の別れの後、意を決しての出版と見た。あとがきにこう記している。ことばの悪葉、良葉ふくめて、もっともっと溌剌と、颯々とさやいでほしいという願いは、ずっと持ち続けてきたものなので<さやげ>は命令形ではなく、<さやげよ>という願望形のつもりであり、祈りの呪文のようなものである。
 そんな彼女だが、幸せの時は短かった。飄々として酒を愛し、医師でもあった夫は61年に蜘蛛膜下出血で倒れ、長く闘病生活を送り、75年に肝臓がんで没した。遺骨を膝に抱えて、上野駅から夫の郷里である鶴岡まで運んでいる。見送った友人は見るにたえられなかった。それから凛として立ち上がった。清談の名手がまわりに沢山いたということだ。詩誌「櫂」仲間である川崎洋、谷川俊太郎、吉野弘、大岡信などなど。そして女優・山本安英との出会いを得て、女同士の清談を楽しんだ。金子光晴の出会いもそうだ。50歳からハングルを学び、自分の世界をぐんと広げた。91年読売文学賞を受賞した「韓国現代詩選」は画期的な名訳といわれる。幸せのぬるま湯からは、美しく強く正確な言葉は紡ぎ出せないような気がする。石垣りんにしてもそうだ。
 さて、2月17日に孫娘を得たが、まるで茨木のり子の死と符合する日月である。きれいな言葉を話してほしいものと願っている。
 諸君、自らをして清談の名手を目指そう。性談でも磨きをかければ、清談にかわることもあるのだから。

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