ちふれ化粧品

自分の中に商人の血が流れているのを感じ取ったのは、40余年前の小さな企みであった。地方紙に入社して3年目で、営業部門に配属された昭和47年のことである。全国紙の社会面に、100円化粧品出現という小さな記事が掲載された。どういうわけか、これはいけると思い込むような衝撃を受けた。資生堂やカネボウもうかうかできない、化粧品業界が大きくかわるのではないか、という予感である。その頃は家電業界も高度成長への階段を駆け上っている時で、その家電を中心にして新しい生活スタイルを提案するリビングフェアなるイベントが地方紙の主催で、開催されていた。県民会館を会場にして、小間料を取って出店を募るというスタイルだった。その企画担当者に知人と偽って、約1坪の小間を7万円で申し込んだ。富山市内の小間物卸問屋「板倉治平商店」がその100円化粧品を扱っており、7掛けで卸してくれるという。開催期間は週末の3日間でほぼ1万人動員する。富大生2人にアルバイトを頼んだ。さあ、どうなったか。初日は様子見であったが、2日目から押すな押すなの賑わいで、商品が追い付かず、板倉商店のおかみさんや店員も駆けつけてくれて、何と80万円の売り上げとなったのである。小間料やアルバイト賃を払っても、2か月分の給料を稼ぎ出した。そことは別の仕事をしながら、見守っていたのだが、若さゆえの痛快事であった。ありがたいと思っているのは、これを就業規則違反だと先輩上司はいわなかったし、そのもうけで一杯ごちそうしろ、と茶化される程度で極めて鷹揚であったことだ。ルーズというか、寛容というか、こんな社風が好きだった。
 6月25日の朝日新聞を何となくめくっていると、その「ちふれ化粧品」の全面カラー広告が飛び込んできて、その快事を思い出させてくれた。ちふれの由来は、昭和43年に全国地域婦人団体連絡協議会と提携し、婦人会員への組織販売を開始したことに始まる。「適正な価格」「安全性を重視した製品づくり」「成分・分量の公開」の3つの方針が提携の前提となったのだが、消費者重視のストイックな手法がいまに続いている。全面広告は「25日は詰め替えの日」と訴えて、750万本の節約を可能にしたとしている。
 思えば、「暮しの手帖」もこの頃がピークであったと思う。わが結婚祝いに1年間の購読をプレゼントしてくれる恩師がいた。これはいいと知人、後輩が結婚するとそれにならった。昭和47年に発刊された『戦争中の暮しの記録』は書棚にきちんと納まっているし、別冊であった「私の旅の手帖」95年版は病床の妻を慰めてくれた。とと姉ちゃんに亡妻をみている。
 ちふれも、暮しの手帖も、世の主流ではない。わが人生もいつの間にか傍流が似合うようになっている。損な役回りではない。主流でいるよりも、はるかに大きく得るものがあった。
 また、参院選に話題は及ぶが許されよ。自民党の手慣れた、物量と締め付けの選挙戦術に多くの選挙民がこれほど慣らされているのか、とあきれ果ててしまう。地方議員がまるで手駒を使うように動員され、それが町内会組織にまで及んでいる。こんな所業を心ある有権者に見せつけるようにして、もはや抵抗できないまでの無力感を植え付けている。候補者やこれに連なる支持者に対してもそうである。諦めさせるのが、政権側の戦略といっていい。抵抗する市民を「価値なきもの」と侮辱するように仕向けてもいるのだ。幸いにして、世論調査で補足できない心強い声が寄せられている。まだ時間はある。32の一人区は、自民か反自民かの2者択一である。ほかに選択肢はない。保守志向であっても、いまの自民を選ぶことは右翼を選択するということである。賢明な判断をお願いしたい。

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