男かくあるべし。島成郎

人生を2回生き切った男がいる。島 成郎。30歳までの前半生は60年安保を指導した学生運動リーダー、後半生は精神科医で地域医療に献身した。残念ながら昨年11月胃がんで亡くなった。地域精神医療を実践した沖縄の地で、69歳。男の人生はかくありたいと思う。

最近は県立図書館によく足を運ぶ。昔と比べると、レイアウトも雰囲気もがらりと変わり、開放的で実に感じがいい。この時は柏原兵三の著書を借りることだったが、ふらりと書架を眺め歩いていると、島成郎著「ブント小史」が飛び込んできた。こういう時、運命的な出会いだ、と大げさに思う事にしている。しかも6月。樺美智子41回忌の月である。

次の短歌を読んでもらいたい。「樺美智子が思いびと打ちあけしリーダーの島成郎逝く廿世紀末に」(渓さゆり)。そう樺が思いを寄せた男でもある。

ブント。共産主義者同盟。彼は一回り以上上の世代。伝説で彩られ、額縁に入っている存在だ。ブントと聞くと、憧れを超えたような響きをわが世代は持っている。60年安保を闘うだけに生まれ、散っていった組織。わずか1年半の完全燃焼。既成の左翼政党の薄汚さと、いつの間にか組織と権力維持のみにすりかえられてしまう欺瞞に、敢然と挑んだのがこのブント。 権力奪取を叫ぶ革命政党を標榜しながら、おおらかで、大雑把で、現実感覚抜群で、官僚的な形式主義を最も嫌った。何しろ50万人の国会包囲デモを組織したのである。

しかし頂点のその時に、敗北も予見していた。その敗北にも淡々と、非難中傷にも一切弁解することもなく静かに政治の舞台から消えていった。豪気な半面で、子供みたいな含羞を抱えた男だ。こうした男の繊細さの理解できない輩は御免こうむりたい。

政治評論家の森田実はブント創設時の同志。講演をお願いした送迎の道すがら、人となりを聞くことができた。安保後は政治信条を異にして没交渉に。女子美の活動家であった夫人の博子さんを口説きに一緒に出かけて、二人でぐでんぐでんに酔ってしまった、という。こんな男と青春時代に一緒に活動できて幸せであった。毎日新聞に掲載された追悼がこころを打つ。

ブントは梁山泊でもあった。あらゆる人材が集まってきていた。北大出の野生児、全学連委員長・唐牛健太郎。理論家でその後経済学に転じ、アメリカで客死した生田浩二。そこでの切磋琢磨があって、安保その後も政治活動を続けたもの、身を引きそれぞれの分野へ散っていったもの。島は30歳にして、当時の医学部長が島の才能を惜しみ、医学部に復学できた。入学、退学、復学と通算14年東大にお世話になった。新記録だそうだ。精神科を選択したのは人間に興味があったから。「精神医療のひとつの試み」に、地域と精神医療の共存が語られている。

この「ブント小史」は、91年暮れに次男・哲(さとる)が急性骨髄性白血病と診断され、余命長くないと宣告されてから、書き始めた。「今ごろこんなもの書くなんて、年取ったもんだな」と親父を揶揄しながら眼を通してくれたという。24歳、樺美智子と同年齢で逝ってしまった。 

男の人生の終い時は、平均寿命はどうあれ、70歳手前がちょうどいい、と思っている。島成郎を見習うとすれば、早く今の生き方に区切りをつけなければならない。あと10余年だ。一方でまだ10余年もあるのか、という気もするが。とにかく1960年6月15日は、忘れてもらっちゃ困るのだ。

© 2020 ゆずりは通信