カチンの森

東欧の現代史をテーマに2本の映画が封切られる。「カチン」と「君の涙 ドナウに流れ」。ポーランドとハンガリーのスターリン体制化での悲劇を取り上げたものだが、興味深い。富山でいつ見ることができるのか、DVDを待たなければならないのか、落ち着かない日々が続くことになる。
 まず「カチン」の新聞記事だ。高齢のアンジェイ・ワイダ監督が「最後の作品の1つ」と位置づける意欲作、第2次大戦の史実の再検証を迫る可能性がある、と記す。書架から引っ張り出してきたのが、岩波ブックレット「カチンの森とワルシャワ蜂起」。91年出版の東欧現代史シリーズで、4巻からなるがその第1巻である。その時の記憶は、これほどの虐殺が許されるのか、とスターリンの冷酷無比に戦慄したことだ。
 露見したのは43年4月、モスクワの西スモレンスクに近いチカンの森。周囲より明らかに低い松の木林の下に、ポーランド将校4443人の死体が折り重なって埋められていた。全員正規軍装を着用し、手を縛られ、首の後ろ側に銃で撃たれた跡があった。ナチスの宣伝相ゲッペルスが、ソ連当局の犯行と発表した。また、他にも埋葬地があり、最終的な処刑者は1万人を超えるものだと付け加えられた。ソ連は直ちに反論、ドイツファシストの犯行を隠蔽するものと反論し、真実はスターリンの死まで待つしかなかった。虐殺は40年春、現場一帯は41年夏の終りまではソ連が管理し、その後ナチスの占領下となっており、赤軍の犯行であることは間違いのない真実となった。
 そもそもの発端は、39年のナチス・ドイツのポーランドへの侵攻に始まるのだが、大国に囲まれ、国家そのものの消滅、分割が何度となく繰り返されてきた歴史をもっている。第一次世界大戦終結後、民族自決の原則により、ドイツ帝国とソ連から土地が割譲されて国家が回復した。それも束の間、独ソ不可侵条約秘密条項によって、国土は両国によって分割されることになる。ポーランドは史上5度目の消滅の悲哀を味わう。その悲哀とは人口3000万人の5人に1人、つまり600万人が第2次大戦中に亡くなるという凄まじさである。
 まず、スターリンは何をしたのか。ポーランド人軍事捕虜23万人が連れ去られ、帰国できたのがわずか8万2千人、労働キャンプに移送されたポーランド市民は160万人で、このうち60万人が飢えと寒さで死んでいる。カチンで殺された青年将校はいわば当時のポーランドにおける最良のエリート達で、反ロシア、反共産主義であった。従属的なポーランドを育成しようと目論むスターリンにとって、自分の構想に賛成することはありえないとするならば、時間を浪費する必要はない。虐殺へと衝き動かした動機である。
 一方、ナチスはどうか。占領政策は、植民地として経済的に搾取することだけを目的とし、ポーランド人はかろうじて戦争を遂行するための労働力として生き残ることを許された。独立の文化的存在としては計画的に抹殺し、人類史に例を見ない非人道的なものであった。食うや食わずの状態にとどめてドイツ人のために働かせるという政策で、編入地域ではポーランド語を話すことさえ許されなかった。ドイツ人入植者を入れるために248万人にのぼるポーランド人が先祖伝来の土地や家屋を奪われ追い立てられた。また、246万人にのぼるポーランド人が無差別に徴発され、ドイツ内奥の工場に送られて重労働に従事させられた。多くの徴発労働者は悪条件のため死亡した。少しでも規則を破ったり、抵抗の意思を示した者は、見せしめのため街頭で処刑された。
 44年のワルシャワ蜂起はそんな背景の中で、「軍事的にはドイツを、政治的にはソ連」という二つの敵と戦うということで起こったもの。悲劇的な結末をみるのだが、ポーランドは、隣国は選べないという不条理の中で、脈々と抵抗という歴史をつむいできたという事実を忘れてはならない。
 「君の涙ドナウに流れ」ハンガリーは映画を見てから、別に考えたい。
参照「ポーランド」(藤村信著 岩波書店) 「カチンの森事件真相」論文(岡野詩子著)

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