2019新年雑感

 新年早々で清新な心もちといいたいが、手にしているのが「芸術新潮」1月号だ。禁断のヌード写真史特集と銘打っている。大橋仁が390人に及ぶ男女の絡みを体育館とも思えるスタジオで、大型クレーンで撮影した1枚は圧巻で息をのむ。モデルとなった全裸の男優女優に数千万円のギャラを支払い、それでも人間存在の原的なものを捉えたかったという執念、妄念。それが73歳の男に突き付けてくる。お前の存在とは何か。

 2日午後、立ち寄った文苑堂豊田店でまるで釣り針に引っかかるように釣り上げてしまった。田村隆一の「おじいちゃんにもセックスを」のコピーが脳裏を掠め、お年玉と決め込んだ。リベラル左派老人に欠けているのはヌードも楽しむ鷹揚さ、寛容さであり、したたかさだ。篠山紀信、荒木経惟が切り拓いてきたヌードとアートの限界なるものを視野に入れなければ、「新潮45」で杉田水脈がLGBTの人々を「生産性がない」とした論に対抗できない。のっぺらぼうで正統と称する輩の薄っぺらな才能なんぞ、面白くも何ともない。生産性より創造性が決め手であり、異端や少数者こそそんな能力に恵まれている。みんな受け入れる多様性こそ、その源泉でもある。多様性尊重ということで、松尾匡教授の「これからのマルクス経済学入門」(筑摩書房)と一緒に購入することとなった。エログロとマルクスだ、文句はあるめえ。

 今年はどう動くか。一番の気がかりは日韓関係である。慰安婦、徴用工、レーダー照射問題と矢継ぎ早にこじれにこじれている。根底にあるのは歴史認識の差。日清、日露戦争で辛うじての勝利を得て、満州こそ欧米列強に伍する生命線とし、そこに通じる朝鮮を併合するしかないとした外交。無理を承知の背伸び外交は、朝鮮のヒトもモノも奪い尽くすしか方策はないと当然視した。ここは45年の敗戦にいたる歴史をもう一度立ち返って考える勇気を持つしかない。「徴用工」ではなく「旧朝鮮半島出身労働者」といい換えて乗り切ろうでは、日韓関係を捨てきってもいいと判断していることに他ならない。戦後の冷戦は南北分断を避けがたいものとし、朝鮮戦争を誘発、朝鮮全土を廃墟とした。朝鮮戦争特需で日本の復興は加速し、ベトナム戦争を引き起こしたアメリカは冷戦を少しでも有利にと、韓国の経済復興に日本のカネを政治的に利用するように圧力を掛けた。これが65年の日韓条約の真相である。カネを最大限に引き出そうとする韓国は、すべての請求権を放棄しなければそんなカネは出せないとする日本に妥協するしかなかった。韓国世論は必ずしも反日一辺倒ではない。日韓の不信が生む悪循環を脱し、自省と寛容による和解をさぐるとした朴裕河著「和解のために」はこう語る。被害者である韓国がまず日本を許そう、加害者の日本はこれで歴史に真剣に向き合うでしょう。ここまでいわれて、日本の良心は呼応するしかないだろう。

 そして、東京新聞の12月31日の社説は、政権はそれほど甘くはないと警鐘を鳴らす。特定秘密保護法集団的自衛権行使容認、共謀罪、仕上げとしての自衛隊を明記する改憲。いっぺんに大胆にことを進めるのではなく、漸進。まるで、歩哨の目を恐れる兵士の匍匐(ほふく)前進みたいに、じわじわ少しずつ…。最悪のことはわが身には起こらないと考え、自分でなくても誰かがやるだろうと高をくくって行動しない、いわゆる「傍観者効果」も働くと、心理学はいう。

 わが読者諸兄よ、事が起きて、どうせ私を騙すなら、騙し続けてほしかったなどとほざく醜態は見せないでもらいたい。

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