百貨店考

買い物下手である。主体性がないのが最大の欠点。背広を着だして35年以上になるが、ほとんど他人任せ。年2着を原則に、紳士服売り場の知り合いに電話をして、10分足らずで決めている。あれこれ迷っている自分を見るのが嫌いなのである。その反面、意外と気にする。似合わないといわれると、金輪際着ないことになる。亡妻はそんな性格を知ってから、ほとんど相談に乗ってくれなくなった。それでも、いつの日か、塩野七生のいうイタリアの緑を着こなす男に挑戦したいと思っている。
 さて、百貨店だが、足が遠のくばかりである。せいぜいデパ地下ぐらいだ。何で化粧品売り場が1階なのか、疑問に思っている。男性客がどう思うのか、考えているのだろうか。それはさておき、北陸で7店舗を展開する大和百貨店。決算を見ていると、7年連続で売り上げが落ちている。悪い店は恐らく7年で売り上げが半減しているだろう。リストラに懸命だ。生き残れるのは金沢香林坊だけ。
 百貨店がやっていくためには、最低30万人の人口がいるというのが定説。そのぎりぎりの30万都市・富山店の新築移転が最大の経営課題。現店舗の老朽化は眼を覆うばかり。売り上げもピークの220億円が160億円に。先日こんなことがあった。富山―金沢間に高速バスが走り始めた。これが10枚の回数券を利用すると往復1500円となる。しかも大和香林坊正面に止まる。JR通勤にも飽きたのでバスに乗った日のこと。何とおばちゃん達が徒党を組むように乗り込んでくる。花見と食事とショッピングである。帰りには大和の紙袋をいくつも抱えていることは間違いない。遠足気分で実に楽しそうだ。移動1時間内人口100万人で本格的な旗艦百貨店というのもいいのではと思えてきた。「富山店は不要。香林坊店まで無料バスを運転すべし」と進言することになった。
 昭和30年代の圧倒的な百貨店の存在感。大学に入って、めがねを新調したのが日本橋・白木屋。三越に次ぐ存在だったのである。その三越が三井呉服店から百貨店と名を変えたのが明治38年、今年が100周年。富山では大和でなければ日も夜も明けなかったのである。「大和さん」と呼ばれていたのがとてもうれしく、今回の新築移転もその時の恩返しと考えています、という幹部。しかし、時代は変わったのである。物余り、モータリゼーション、巨大な郊外ショッピングモール、通信販売などなど。成功するには余程のことを考えねばなるまい。
 買いたいものを探しに行くのが百貨店。驚き、感動の演出が必要だ。あそこより安かったという日常ではいけない。男の伊勢丹で、ワイシャツを手にして4万円にびっくり、やっとこネクタイを3万円で買い、何とか面目を保った。富山店に伊勢丹を期待するわけにはいかない。縦割りの売り場、売り方をやめて、まとめ買いのためのコンシュルジェを各階に配するのが最近の流行。靴からネクタイまでアドバイスしてくれる。300人の固定客を持ち、年間3億円が目安とか。商品構成もさることながら、売る、売れるシステムで妙案がほしい。
 いまひとつが建物、ハードの問題だ。富山市もはいった第三セクターの再開発組合。失敗を重ねても重ねても、懲りずに繰り返しているスタイルだ。まずヒトを得ない。助役か市長が社長を勤め、市役所OBが常勤の役員に就く。地権者入り乱れての利権漁り、コンサルタントは物まね計画を提示し、ゼネコンはここぞとばかりに接待攻勢で、計画は大きく膨らむ。出来てしまうと、最初の数ヶ月は何とか持つが、あとは閑古鳥。大和も建設協力金がどうなるかで戦々恐々。つい数年前の富山駅前CiCでの失敗も忘れたようだ。いい加減眼を覚ましてほしいものだ。
 さて、ゴールデンウイーク。つまらぬことを忘れてのんびりしたいと思うが、公私ともども問題山積だ。年金、イラクに、老犬コロ。生きてる限りはこんなもの、か。

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