経産省の罪と罰

 日々車で通る道筋に、技術開発財団(現在は富山県新世紀産業機構)のビルがある。30年以上も前になる話だが日参していた。84年に策定されたテクノポリス開発構想に富山県が指定され、その推進施設として建設された。戦後復興が軌道に乗り、更なる高度成長を目指し産業構造の方向性を定めようと経産省を中心に構想が練られ、膨大な予算も投入されていった。高度成長期を前にした当時の経産省の空気を活写したのが城山三郎の「官僚たちの夏」だが、ミスター通産省の異名を取った佐橋事務次官の「国家の経済政策は政財界の思惑や利害に左右されてはならない」、自分たちは「国家に雇われているのであって、大臣に雇われているわけではない」といい放っていた。その余韻がまだ残っていた頃で、テクノポリスの名残といえるのが八尾中核工業団地で、経産省の担当は風の盆も楽しめると八尾にセカンドハウスも購入していた。日参していた理由は、テニスをこよなく愛する永森倭夫専務理事と妙に馬が合って、こちらが話す企画が次から次へと陽の目を見ていったからである。立山国際ホテルを借り切って泊まり込みでの産官学交流会を開いた時は、何と400人が参加した。記念講演にはテクノポリス生みの親である石井威望・東大教授を招き、夜を徹しての分科会も盛り上がり、酔っぱらって廊下で眠る参加者も数十人はいた。
 さて、その経産省の末路である。アベ政権で影の総理と称される今井尚哉首相秘書官も、加計学園問題で煙に巻く証言をした柳瀬唯夫首相秘書官も経産省出身で、官邸は同省に牛耳られているという評である。前々から記者の室内出入り禁止など閉鎖性を強めていた世耕大臣は、先日明らかにしたのが、経産省の公的文書の骨抜き指導。「個別の発言まで記録する必要はない」とするもので、すぐに菅官房長官は問題はないと呼応した。反省とは程遠い。予算をつぎ込む政策や決定がどんな経緯で成立したのか全くの不透明となり、納税者である国民に対する責任や自覚はかけらも見えない。「税は年貢ではない。納めるものではない。支払うものである。われわれは政府の奴隷ではない」とする拒税同盟が現実味をおびてくるというものだ。
 そして、何よりも糾弾したいのは次の3点である。ひとつはデジタル革命に全く対応できず成長戦略が描けていないこと。米「GAFA」どころか、中国アリババ集団などに全く太刀打ちできない。ものづくりに固執した旧態依然の産業政策は機能不全としかいいようがない。次にビジョンを持たない狭量さである。トランプの輸入制限措置に対して、ただ除外をとへりくだってお願いしている。EUは対抗措置を示して適用除外されたが、お願いするだけの日本は除外されなかった。相手にされていない存在なのだ。日米同盟を金科玉条にした自発的従属論にしばられてきた当然の結果である。最後はエネルギー戦略の混迷にみる愚かさである。何が何でもの原発推進の餌食なったのが東芝である。そして、日立がその二の舞をやろうとしている。もんじゅの廃炉、福島の汚染水も見ても、使用済み核燃料を避けての原発再稼働は愚かを通り越している。経産省に支配され、思考停止の電力も目を覚ますべきであろう。
 更に8月から始まった日米貿易協議である。ワシントンポストは、トランプが真珠湾攻撃に言及した後、米国の対日貿易赤字について激しく非難し、安倍氏に対し牛肉や自動車の対日輸出で米国に有利になるような2国間貿易協定の交渉に応じるよう促した、と報じている。日本のメディアは何をしているのだろう。妙な動きも気になる。甘利明・元経済再生相が政府特使として訪米し、ライトハイザー米通商代表部代表と密議をこらしたことだ。巨額の米インフラ支援ファンド構想らしいが、この男こそ族議員として東電を食い物にし、TPP交渉で日本の国益を無造作に米国に渡したのだ。そろそろ復権ということらしいが、国益よりアベお友達優先がモロに透けて見える。
 要らぬ監督行政を減らして、自由なビジネス環境を整備し、あとは企業の創意工夫と競争に委ねるべきで、経産省不要をいいたい。

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