「火花~北条民雄の生涯」と川端康成

「包帯やガーゼを取り替えると、とたんに膿臭でむせ返る室内。右隣の李さんの如きは全身だらけで、文字通り満身創痍だ。両足とも、包帯をとると向うはぺろりと皮がむけていて、真っ赤な肉が七八寸の長さでいている。

鼻の肉を失い、ふたつの穴がぽっかりとのぞいている顔の中心。その上にあるふたつの眼はすでに光を失っている。痰を詰まらせて悶え狂う断末魔のあえぎ…」(北条民雄『重病室日記』から)。「千余名の癩者を見ると名状し難い恐怖に襲われた。あれを平然と見守ることのできる人があったら恐ろしい」(精神科医・式場隆三郎『脳内反射鏡』から)。癩病の現実は想像以上に厳しく、凄まじい。

ハンセン病国家賠償訴訟判決前までに読むべし、と自分に課していたのに果たせなかった。高山文彦著「火花 北条民雄の生涯」(飛鳥新社 1900円)。一昨年、大宅壮一、講談社の両ノンフィクション賞を受賞したもの。その内に、と思いつつ2年間わが書架に置き去りにされていた。これとて、市民の一人として不作為の過失と断罪されていい。読了した今になって、もっと早く手にできなかったものか、悔いが残る。

この北条民雄こそ、わが国で初めて、癩患者による癩文学を生み出した作家だ。もちろん『北条民雄』はペンネーム。1914年生まれ。19歳でハンセン病を患い、東京全生病院(現多摩全生園)に入院。わずか3年余りの作家生活。23歳で、一瞬の光芒を放ちながら1937年逝ってしまった。

彼を見い出し、世に送り出したのは川端康成。北条は川端に、きっと返事をくださいと懇願調の手紙を送っている。この手紙も完全に消毒がしてありますから、と書き添えて。川端は作品を書いたら読みますから、どうぞお送り下さい、と応じている。二人の間の書簡は90通を超える。対照的なのが志賀直哉。北条民雄という名前が載っている印刷物に触っただけで手を消毒したという。しかし志賀直哉を責められる人も少ないと思う。冒頭に挙げたあの恐怖である。頭でどんなに思っていても、身体が、生理感覚がそれについていくわけがない。ここは川端康成の凄さを称賛すべきだ。原稿用紙から、原稿料に見合うものまで送っている。なぜ川端がそこまで。

この疑問を解くために、何としても、川端の生い立ちに触れておかねばならない。不明にして全く知らず、「雪国」「伊豆の踊り子」も記憶さえ定かでなく、恥ずかしいかぎり。

川端は、生後7ヶ月にして父を失い、翌年、1歳と7ヶ月で母を失った。ただひとりの姉とも離れ離れになって、祖父母に引き取られている。そして、育ててくれた祖母は7歳の時にこの世を去り、それから祖父とふたりだけの生活。叔母の家に預けられていた姉は10歳の時に死んだ。別れてから一度しか会ったことのない姉だった。ただひとり直系の祖父は、白内障におかされて盲目に。少年の川端は中学へ5キロの道のりを通いながら、次第に衰弱していく祖父の介護にこころを砕いた。

こうした境遇の川端にしてこそ、のことである。

周囲に惑わされず、ただ古典に親しみ、書くようにと北条を励ましつづける。古典とはドストエフスキー、トルストイ、ゲーテなど、文壇小説は読まぬこと。そして、それは何作かの後『いのちの初夜』で実を結ぶ。これを中心にした作品集は亡くなる1年前に創元社から発刊され、瞬く間に1万部を超え、終戦後には64版と版を重ねた。当時としては未曾有のこと。

また川端は北条が亡くなった時、編集者と二人で全生園を弔問している。肉親さえ訪れないのに。そしてあろうことか、霊安室まで足を運び、北条の死に顔を見て「奇麗ですね」と声を掛け合っている。死者の骨からも感染するといわれていた時に、だ。この時、川端は38歳。このことが彼の精神にどんな影響を与えたのだろうか。というのも、川端は72歳で自死を選んでいるからだ。「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。命だけがびくびくと生きているのです」。これは北条民雄の悲鳴。その生命を何のために自ら。一体その時川端のこころに何が去来していたのであろうか。

川端康成のイメージを変えなくてはならない。

最後にこの著者・高山文彦にも触れておきたい。彼が「いのちの初夜」を読んだのは1978年。法政大学学生会館の地下室。学生運動が衰退し、ともいうべき最期のゲバルトのさ中。ダンボール箱に投げ捨ててあった角川文庫。固い寝台の上で読んでいくうちに、信じられない異常な世界に頭がくらくらし、いつしかすがりつくように読んでいる自分に気づいた、という。そして川端康成との魂の交わりを、どうしても書き残しておかなければならないという使命感に取り付かれた。全身全霊で打ち込んだ力作だ。気迫が行間ににじんでいる。柳田邦男氏も「10年に一作の秀作」と絶賛。高山は58年生まれ。じっくりと仕事をしてもらいたいライターだ。

癩病と聞くと、映画「砂の器」の冒頭シーンを思い出す。父と子の巡礼姿。石川の寒村を出て、再び帰れぬ旅。物悲しい、といってしまえば、志賀直哉にくみする人間ということになるのかな

© 2020 ゆずりは通信