豊岡市の試みに激震

 豊岡市といっても、どこにあるのだという人が多いだろう。兵庫県の日本海側で、城崎温泉があり、コウノトリ但馬空港もそうだ。人口減少と経済衰退という典型的な地方都市だが、4期16年務めた中貝宗治市長が平田オリザを巻き込み、演劇での街づくりの集大成を図るべく、5選に挑んだ。誰もが当選を疑わなかったが、新人の関貫久仁郎が現職を破って当選した。4月25日投票の市長選だが、21256票対19591票の僅差である。「演劇の街なんていらない」と真っ向批判した関貫・新市長が誕生した。トランプばりの誹謗中傷のやり玉に挙がったのは中貝・前市長だけではなかった。演劇の可能性を市民に眼の前で演じて見せ、この4月には兵庫県立芸術文化観光専門職大学も開学させた。その学長のオリザが新入生に演劇の夢を語りかけた。オリザの受けた衝撃は大きく、雑誌「世界」に連載していた但馬日記を1回休載したほどである。今後は「子育て支援の充実などやるべきことが他にある」として、豊岡演劇祭の中止なども示唆する新市長と向き合っていかねばならない。

 オリザと豊岡市の関りは、講演に招かれ、会場でもあった1000人規模の県立大会議場を何とか活用できないか、との依頼。中貝・前市長は劇団の移転まで持ち出した。頼まれると過剰に応えてしまうオリザ。会場は「城崎国際アートセンター」と名称を変え、2015年にその芸術監督に就任する。野心的な市長と演劇監督が発想の赴くままに、地方再生を語る姿が想像できる。市内の小中学校で「演劇的手法を活かしたコミュニケーション教育」授業が導入され、「豊岡演劇祭」の開催、演劇と観光を学べる日本初の国公立大学の開学とトントン拍子であった。

 オリザは述懐する。15歳で定時制高校を選び、16歳で自転車に乗って世界一周をしてから、平穏無事な人生は歩めないと覚悟を決めてきた。大学院も出ていないのに准教授、教授と周囲の方に取り立ててもらい、大学の学長にまでなった。いくつかの演劇賞をもらい、55歳で子宝に恵まれた。そして、家族も、劇団青年団も、豊岡に移住することを決めた。その矢先の今回の出来事は、思いもよらない落とし穴だった。

 地方再生のもうひとつの現実を、これほど見せつけたものはない。市民の半数は演劇街おこしにNOを突きつけたのである。大衆の古層基盤に残る無意識レベルの「よそ者排除」「新規排除」だが、怖い怖いが思考を停止させる。そんな怖がり市民に、「主人公は市長やオリザではない」と叫び、従来からの文化団体の補助金カットは許さないし、演劇優先予算は0~3歳児の医療費無料化などに振り向けるといえば、一挙に振り子は向こうに振れていった。かといって関貫・新市長に成算があるわけではない。地方自治を市長の個人プレイにゆだねてはいけない。

 豊岡市の試みをここで中断させるのはもったいない。地方創生のカギを握るのは、やはり教育である。特に表現能力の乏しさを、怖い怖い文化と合わさって自由闊達な市民を創り出さない。竹内敏晴が開発した演劇に依拠した「竹内レッスン」をコミュニケーション教育の中心に据えてほしい。人と人との真のふれあいとは何か、出会いとは何かを探り、ひとり一人の人間的可能性を「心と身体」の視点で切り開いてくれる。

 ここは立命館大理工を出て、ITで起業もしている64歳の関貫・新市長に期待したい。不毛な時代に逆行する政策は財政的にも大きなマイナスである。君子は豹変するという。豊岡の子供たちのために、豊岡市の演劇教育で全国に先駆けてほしい。全国の心あるものは固唾をのんで見ている。

 

 

 

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