「偽文士日碌」

文壇というものがどういうところなのか、よくわかる。今や文壇の長老となった感の筒井康隆のパロディ日記「偽文士日碌」(角川書店)。日録としなければならないのだがわざと碌なものではないの「碌」としている。朝日新聞での連載小説「聖痕」(せいこん)で、余りの美貌ゆえに、見知らぬ男にペニスと睾丸を切り落とされた少年を描いた。古語辞典を傍らにじわじわと書き始めたというが、とにかく読み馴れない古語や枕詞、さらには面倒なその注釈などが毎回毎回これでもかと出てきて、読むのに苦労させられた。性衝動のない少年に残ったのは味覚である。美食を追い求め、やがてレストランのオーナーとなるのだが、この日碌の美味三昧生活を読むにつけ、なるほどとうなづけた。
 文壇での付き合いとは、一流の料亭、割烹、レストランを嘗め尽くすことなのだ。これほど文学賞が出来てくると、審査員のなり手探しとなるのだが文壇の長老ともなるといくつも掛け持ちとならざるを得ない。文学賞は出版社の営業政策だから、審査員の選定、審査会の開催、発表表彰式と続くのだが、その後はほとんど会食となる。出版社の担当はグルメ情報を知り尽くし、その好みなども心得ておかねばならない。受賞した作家などは必ず2次会をセットして、時に審査員を誘うのが常識ともなっている。車の手配から店の予約まで出版社の担当は、まるで本来の才能よりコンシュルジェの才能が求められることになる。下司な勘ぐりとなるが支払いはすべて出版社ということだろう。
 月刊「創」2月号は出版社の二極分化を指摘している。文藝春秋の大健闘だが、村上春樹の「多崎つくる・・」阿川佐和子の「聞く力」が大きい。講談社は漫画の「進撃の巨人」と百田尚樹の「海賊・・」「永遠のゼロ」に救われた。新生KADOKAWAはライトノベル分野で他を圧倒している。一方新潮社の沈滞だが、どうも村上春樹は何かの事情で文春からとなったのが響いているようだ。めぼしいヒットが皆無となっている。こうした特定の本だけに売れ行きが集中するのはいいことではない。もっと大きな問題は構造的に本を買って読む層が激減していること。これは深刻である。
 さて、筒井康隆の東京の住まいは原宿。近くにあるJYRE(ジャイル)というビル内にお気に入りがある。日本料理の「十四郎」は揚げたての天麩羅が食べれるカウンターで、夜景が見渡せて琴の演奏もある。同じ階にある「SMOKE」はバー&グリルで、ウィスキー、ワインが豊富で、鴨のスモークからステーキまで注文に応じてくれる。これも同じ階でビストロ「ル・プレヴェール」。シラク大統領の好物コラーゲンたっぷりの豚肉料理がいい。もちろん最高級のブランデーが付く。神戸にも住まいがあり、イタリアレストラン「テアトロ・クチーナ」など行き付けに事欠かない。12年の大晦日にはニューオータニのガーデンタワー最上階のスィートルームをお正月プランで宿泊予約し、長男家族と過ごしている。ルームサービスでの年越しそば、おせち、清泉亭での鉄板焼き、九兵衛の寿司での正月である。
 別次元の生活ぶりに見えるが、彼も80歳。断筆宣言からここまで面白く、誰もが予期せぬ視点で作品を送り出してくれた功績を思えば、考え方の多様性維持ということで許されていい。
 最後に未練がましいが国会質問から付け加えておきたい 。岡田克也の歴史認識の問いに「殖民地支配、侵略は否定はしない」だけをみっともなく繰り返すアベクン。「だから否定していない、といってるだろう」と怒鳴りだす寸前である。他の言葉で説明できないのだ。日韓併合条約100年に出した菅談話を「愚かで間抜けな人物が首相になってしまった」と酷評したアベクンにそっくりそのまま返したい。

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