永青文庫での春画展

日本初の春画展という触れ込みであった。東京・目白台にある永青文庫で、昨年9月から12月末までのほぼ3か月に及ぶ開催だったが、何と20万人を超える来場者でごった返した。永青文庫は、旧熊本藩主細川家の屋敷跡に、同家伝来の美術品、歴史資料などを収蔵していて、現在の理事長は18代当主の細川護煕である。開催にあたって記者会見も行っている。前年に大英博物館で開催された春画展では “日本人にもこのようなユーモアや笑いがあったのだ”と高い評価を受けたのだが、いざ国内でとなると公立美術館をはじめとする多くの美術館が二の足を踏み、なかなか実現に至らなかった。細川護煕いわく。「出版物として公に認められて世に出ている春画なのに、どうしてその実物をみることがいけないのか。春画は代表的な芸術。私は義侠心から今回の開催を引き受けた」。
 こうしたお墨付きを得て、会場は品のいい着物姿のご婦人連れ、老若を問わない夫婦連れ、若いカップル、女友達などでにぎわったのである。もしこれを公立美術館でやればどうなるであろうか。税金でポルノをみせるのかという論になることは間違いない。1986年富山近代美術館での天皇コラージュ事件を思い出す。絵は非公開となり、図録は焼却処分となった。細川護煕という権威を持ち出すことでしか開催できなかったことに、日本が抱える文化の弱さが見て取れる。
 雑誌「ユリイカ」が1月臨時増刊で春画の特集をやっている。上野千鶴子と田中優子法政大学学長の対談が面白い。会場では女は饒舌に話をしながら鑑賞しているが、男は一様に押し黙って、あるいは恥ずかしそうに照れ笑いを押し隠すように見ているという。春画の定義は「性的に露骨なアート」。重点はアートにあり、ポルノにはない。とはいえ、男はそれほど器用に分けられるはずもない。まして美術館で他人の視線にさらされる中で観賞するのだから、にやけた表情でもするとポルノの眼で見ているでしょうとなる。女はいつも見られる客体ということを意識させられているので、アートを見ていると装い続けることができるし、ポルノを見て刺激される性でもないので、余裕のある観賞となる。
 ふと、安部首相夫妻にこの春画展の招待状が届いたら、と想像してみた。俺は女嫌いだから、ひとりで行け、となること請け合いだが、ここに右翼のアキレス腱がある。男向けの性道徳と女向けの性道徳とを使い分けているということだ。特に女性に対しては「聖女」と「娼婦」、「妻にして母」と「売女」、「結婚相手」と「遊び相手」の2分法で、春画はすべて後者に属するとみる。従軍慰安婦問題も本質的な女性の権利をないがしろして解決しようというところに大きなゆがみを生んでいるのだ。タコが女に絡みつく葛飾北斎の「喜能会之故真通(きのえのこまつ)」は彼の審美眼の埒外だろう。性の解放と、国家で庶民を抑圧し、統制しきろうという考え方とは相いれない。
 さて、いつもお墨付きをほしがるわれわれなので、天皇のフィリピン訪問などにみられる戦跡慰霊の旅を思うと、護憲平和主義の象徴として天皇を統一候補に挙げれば、とも思う。天皇はこの政権をどうみているのだろうか、聞いてみたい。
 なお、同春画展は京都・細見美術館で2月6日から4月10日まで開催される。

© 2024 ゆずりは通信