「中国朝鮮族を生きる」上

いつもの老人の夢想癖だが、70歳にして留学するのもいい、と思っている。できれば、わがルーツである韓国・光州大学に通いたい。湯たんぽが光州の小さな古いアパートのオンドルに変わるのだ。四肢を伸ばし、ここが生まれた故郷と全身で感じてみたい。韓国近現代史を専攻するが、韓日辞書を片手に悪戦苦闘するのは間違いない。しかし、カブチョニ・アジョシとみんなから呼ばれて、コンパには欠かせない老人となっているはずである。マッコリをしたたかに呑んでは、「アジョシ、演歌を聞かせてよ」のリクエストに応え、最後に歌うのは新井英一の「清河への道」だ。涙が流れ、終わりにはしゃくりあげる態であるが、そばにいる女学生が「アジョシ!」と背中を撫でてくれる。そんな夢だったが、どうも先を超されてしまったようだ。
 延辺朝鮮族自治州。どうして北朝鮮に接して、中国に朝鮮族が認知されて自治州を構えることができたのか。こんな疑問に戸田郁子が、女性らしい丹念な取材で見事に解き明かしてくれた。「中国朝鮮族を生きる」(岩波書店)で、旧満州の記憶とある。
 韓国は移民の国といっていい。中国、日本、ロシアに囲まれて、否応なく翻弄され続けられた結果に過ぎないのだが、700万人といわれる。中国に230万人、アメリカに210万人、日本に91万人などだ。生活の基盤を丸ごと新天地に移して、人生を切り拓こうという潔さであり、既成の価値観やこだわりにしがみつかない生命力の強さでもある。
 生まれ育った伝来の土地にしがみついて生きるしかないと考えるわが生き方だが、それで生き易いかといえば決してそうではない。地政学上の厳しさを天与として、数々の悲劇を抱えながら、果敢に挑んでいる民族といっていい。
 朝鮮族にとって、天皇、スターリン、毛沢東は同列の罪深さである。民族固有の習慣、言語、民族意識を堅持しての移住は17世紀としている。清朝の朝鮮侵攻での戦争捕虜として、また朝鮮王朝の重税と搾取に耐え切れず逃げ出すことだったが、急増するのは日韓併合後である。日本人による土地収奪で農民20万人が移住した。更に32年の満州建国では日本人移民の少なさをカバーするために移住を奨励し、戦争末期にはソ満国境に朝鮮人開拓団を強制移住させ、国境警護としたのである。満蒙開拓団の悲劇はひとり日本人だけではなかった。敗戦時の在満朝鮮人は216万人に達していた。
 悲劇はこれにとどまらない。37年にはスターリンによる朝鮮族の強制移住で、中央アジアへ17万人が有無をいわさず貨車に押し込められたのである。スターリンの猜疑心は朝鮮族が日本の植民地侵略を補完するように見えた。日本が朝鮮人を二等国民、それ以外の民族を三等国民として、食糧の配給、労賃にも差をつけて差別統治をしていたのを見て取ったのであろう。
 この延辺の地はまた、日本からの独立解放を目指す抗日ゲリラにとっては格好の地でもあった。ハルビン駅で伊藤博文を暗殺した安重根を最高の英雄として、多くの義士が生まれている。いろいろなゲリラ闘争での小さな勝利はあったが、その前後での日本軍の討伐行動は凄惨なものだった。ゲリラをかくまった罪で家々は焼かれ、無辜の多くの民が虐殺された。
 8月15日の解放後、その半数は故国に戻ったが、半数は故国に土地も家もなく、頼る親戚も無かったので留まるしかなかった。しかし中国共産党指導のもと土地改革が行なわれ、親日派が弾劾され、土地を手に入れることができた。中国革命が成就するまでの国共内戦では、朝鮮族6万人が革命戦士となって戦った。49年に中華人民共和国が成立し、52年に朝鮮族自治区が認められ、初代州長に朝鮮族の朱徳海が就任する。
 民族の血と汗の代償として、中国共産党から認められた民族自治だったのである。しかし受難はまだまだ続く。

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