若者に託そう日韓の未来

 久しく経験していない政治のダイナミズムを感じることができた。沖縄の辺野古移設をめぐる県民投票で、反対5市も矛を収め、全県で実施されることになった。琉球新報によると、県民投票の会代表の元山仁士郎が決行したハンガーストライキが契機となったという。謝花副知事の感性がいい。「若者にここまでさせてしまった」と感極まった様子で語り、このまま条例改正せずにいいのか、と呼応し、動いた。賛成反対の2択から、「どちらでもない」を加えた3択にする。どうということもない対案が、5市長のメンツを立てることになる。柔軟に対応しようという元山代表、全県実施の世論に窮していた公明が動き、自民が孤立を恐れ、「5市長の責任があいまいになる」と3択案に反発していた社民・社大・結、会派おきなわの与党2会派が同調せざるを得なくなった。いよいよ2月24日投票である。法的な拘束力はない。反対と決まっても、政権はマヨネーズ並みの軟弱地盤にこれどもかと土砂を入れ続けるのだろうか。民主主義とは、AかBかではなく、Cという選択肢を創り出すことだという井上ひさしの言葉が思い出される。

 沖縄知事選も、今回の県民投票も若者たちが動いた。元山君も元シールズで、16年の参院選では富山にも来てくれて、「民主主義って何だ。これだ」とデモのシュプレヒコールを一緒に叫んだ。若者たちが自己犠牲もいとわず、運動に献身し、それが共感を生み、変化をもたらしていることは間違いない。

 もうひとつ、忘れてほしくない学生の活動がある。戦後間もない45年9月23日、下北沢の学生アパートで産声を上げた「在外父兄救出学生同盟」。朝鮮半島や旧満州などの日本人家庭から本土に進学した大学生が、送金も途絶え、家族の安否もわからなくなった状況を踏まえて集まった。在外の肉親捜しと引き揚げ者支援の活動方針を決め、引き揚げ港である博多などにすぐに出向いている。痩せてよれよれで、女か男かもわからない姿に慄然とし、闇市でおかゆのようなものを買い、必死にふるまい、そのまま京都大阪まで同乗していく学生もいた。いたいけな戦災孤児に自らの弟妹の面影を重ね、必死に寄り添いもした。北朝鮮からの引揚者から「38度線以北では、日本人が飢えと寒さで次々と死んでいる」と聞くや、戻る引揚船に潜り込み、密入国がわかれば銃殺という危険も顧みず、平壌潜入に図った学生もいた。この学生はこれしかないと手を尽くし、金日成将軍に面会し、日本人の脱出許可を嘆願する。金日成は応える。「朝鮮は独立したといっても、すべてソ連軍指揮下にある。自由にはできないが黙認する。日本敗戦を聞いて、朝鮮民衆のしてきた不法行為や略奪等はこれまでの感情の行きがかり上で、政府の意向ではない。ソ連軍の婦女子への暴行も、ドイツの戦地から直接送られた関係上、気も荒く、万やむを得ないことと思う。とにかく我々としては日本人をいじめてやろう等とは決して考えていない」。その後南下する列車には護衛兵が付き、38度線を警備するソ連軍司令部も通過を許可した。この経緯は49年発行「雄鶏通信」1月号に「金日成将軍会見記」として所収されている。資金集めも必死で、甲子園のかち割りの売り子を買って出たり、大学教授のガリ切りを1枚5円で請け負ったりした。あてにならない敗戦直後の政府に代わって、無名の学生たちが無私の献身でこの引き揚げ活動を支えた。

 このところ厳しい緊張が続く日韓関係だが、政府レベルの首脳会談では解決は覚束ない。無名無私の平和を求める若者の交流討議にこの問題を託して、10年後、20年後の日韓の在りようを模索してほしいと切に思う。

 参照/「朝鮮半島で迎えた敗戦」(大月書店)

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