「茜色の空」

「三角大福」なる政治の時代があった。72年の田中角栄に始まり、三木武夫、福田赳夫、大平正芳とこの4人がほぼ2年刻みで総理大臣をつとめた時代である。それぞれが派閥を持ち、何が何でも総理を目指さなければならないという宿命を背負い、血みどろの派閥抗争を続けた。強烈な野心と金権を背景に図抜けたエネルギーを持った田中角栄がその中心に居座っていたのは間違いない。とりわけ大平正芳は「角影内閣」と呼ばれるほどの盟友関係から、損な役回りを演じなければならなかった。ところが大平正芳を再評価する動きが相次いでいる。「茜色の空」は元セゾングループの堤清二こと辻井喬が書いた伝記小説。老人党のなだいなだ党首が、面白いというので読んでみた。党首もそそっかしいところがあり、「茜色の雲」と間違っている。
 大平正芳では、ひとつ鮮明な記憶がある。80年5月16日、新宿西口の居酒屋で、多分東京出張を機会に昔の仲間に声を掛けたのであろう、にぎやかに呑んでいた。店のテレビは国会中継をやっており、多くの客はそれを気にしながら、座をもたしていた。当時の社会党が通すつもりもなく、大平首相不信任決議案を提出していたのだ。それに反主流であった福田派、三木派が同調、本会議に欠席する気配を見せていて、その採決風景をテレビは映し出していたのである。賛成242、反対187、何と不信任案は可決されてしまった。居酒屋全体が「おー」とどよめき、異様な興奮状態になった。
 大平は間髪をいれず、解散を選択し、史上初の衆参同日選挙に打って出たのである。果断な決断なのだが、背後に角栄の画策があるとマスコミはしたり顔で報道していた。大平の辛いところである。その選挙初日の街頭演説で大平は倒れ、選挙の結果を見ずに亡くなった。
 香川の貧農の生まれで苦学しながら、高松高商からと東京商科大学(現・一橋)に進み、大蔵官僚となって池田勇人に見込まれて政治に舞台を転じ、池田内閣で官房長官、外務大臣に就いている。高商時代にキリスト教の洗礼を受けていて、角栄の大平評は「政治家というより宗教家」だとまでいい切っている。ところが、池田派の後継争いでは、前尾繁三郎を追い落とすクーデターで継承している。無類の読書家で、哲学にも通じていて、答弁では「あー」「うー」と口ごもるが、それを除くと理路整然とした文章になっている。
 辻井は大平に寄り添うように描いている。香川県観音寺市の生家から自転車で琴弾公園に行き、その見晴台から燧灘(ひうちなだ)を望んでみる日没風景がすべて茜色に染まることから、書名は取っている。大平は特に帰郷した折には、ここでひとり寛いだという。
 独居老人にとってGWは、どこにも出かけてはならない期間である。すべてが割高で、混雑している交通機関、観光地とくれば当然のことで、その緩和に役立っている。気の利いた割烹、レストランも同じで家族連れで賑わっており、独居の巣ごもり消費に拍車がかかる。はてさてと思案しつつ、行く先は本屋しかない。出版不況も、iPadなるものの出現で止めを刺されそうだと思いつつ、出向いてみた。目抜きの陳列棚に「1Q84」が積まれている。これを見ると、死んでも読んでやらない、との反抗心がたぎってくる。その価格設定だ。1~2巻が1890円、3巻が1995円で、誰も疑問に思わないのか。100万部の売れ行きが確実なのに、この価格で恬として恥じない新潮社の儲け主義だ。何とも腹立たしい限りである。無駄な抵抗だが、当分新潮社は買わないつもりだ。
 また訃報である。多田富雄さんが遂に命の幕を閉じた。「多田富雄は、静かに永い眠りに付きました。苦しみを越えて、全ての戦いを征した顔は、笑っています。東京は、雨です」。多田さんに引き合わせてくれた友人・長野さんからのメールである。

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