8月17日に起きたスペイン・バルセロナのテロは1冊の本の記憶と重なった。無辜の市民を次々に跳ね飛ばしていくISテロの理不尽さには、とてもやりきれない思いだが、テロ報道のカタロニア地方という地名に、何ともいえない懐かしさが込みあげてきた。20歳頃に必読だぞと勧められ無理して買ったのだが、読み切れなかった。スペイン戦争を描くそれは、スターリニズム、ファシズム、双方をにらみながらの英仏という地理的、歴史的な最低限の教養が身に付いていないと理解できない。つまり四畳半の下宿で苦しんでいた20歳の自分にこれを読むだけの素養も、問題意識も無かったのである。その本というのは、私は新聞記事でも書こうと思ってスペインに来たが、ほとんどすぐに市民軍に参加してしまった。こんな書き出しで始まる「カタロニア讃歌」で、ジョージ・オーウェルが人民戦線側の義勇軍に参じて書き綴った従軍体験記である。
1936年夏にフランコが軍事クーデターを起こし、これまでの共和制でどちらかといえば左翼的な政治が行われてきたが、これを真っ向から否定するファシズムを目指した。そのフランコをナチスドイツが支援し、共和政にはソ連が支援した。これに民主主義の危機だとして周辺各国から義勇軍に参加する志願兵が相次いだ。オーウェルも英国から駆け参じたひとりである。最初の印象記が面白い。スペインというよりカタロニアの労働者階級の人々の間に投げ出されてみて、彼らの本質的な礼儀正しさ、とりわけ彼らの率直さと気前の良さに打たれないものはいない。その反面、戦争をすることに関しては全く駄目である。彼らの無能さだが、こっちがいらいらして気違いになりそうなほど時間を守らない。外国人がすぐに覚えるのが「マニャーナ」で明日という意味だが、今日の仕事は「マニャーナ」といって明日まで延ばされてしまう。戦線では私の腹立ちは激怒の域までに達した、とまで綴っている。
さて、スペインに長く住んだ堀田善衛によれば、この内戦で「あらゆる思想が試された」という。オーウェルの所属していたPOUMはマルクス主義統一労働者党と呼ばれ、ソ連共産党の指示を受けないトロツキストと規定されていた。スペインという風土もあり、それぞれが支配する地域では、地域貨幣や株式を従業員が持ち合う民主経営、将校と兵士の格をなくした民主軍隊などさまざまな改革の実験が行われていた。こうした統制の取れない乱脈さを最も嫌うのは国際共産主義を目指すコミンテルンであり、ソ連共産党で、POUMのような労働組合から組織化された政党を嫌い、排除するように動いていく。すなわち彼らはスペインの革命を望んでいない。それよりもスターリズムの本質であるソ連の祖国防衛を最大目的として、そのために手段は選ばずPOUMのような組織を弾圧、粛清を行っていった。つまり党員、兵士の逮捕、処刑を通じてその勢力を圧殺したのである。一方でナチスは急降下爆撃、無差別爆撃、戦車を前面に出した機甲化師団による電撃戦などの戦争手法を様々に試して、これが第2次大戦初期に実行された。
スペインからフランスに何とか脱出したオーウェルは巻末にこう記している。虐殺や肉体的受難はさておき、恐るべき悲劇に終わったとしても、その結果は必ずしも幻滅やシニズムとはならない。はなはだ奇妙だが、私には全体験が人間の品位に対する信頼を弱めるどころか、より強固にした、と。そして、彼はスターリズム、ファシズム批判の書として「動物農場」「1984年」を世に出したのである。
そういえば、底抜けに明るく、お人よしで気前がいいルーズな人間と、何事にも潔癖で間違いを決して許さない人間の2種類がいて、というより同じ人間にこの矛盾した性格が同居していて、せめぎ合っているのが人間かもしれない。