嫁と舅、そしてわが陣営。

上越市の真ん中に市民交流センターがあり、その2階の一角が「こどもセンター」。板張りの体育館みたいなところに、滑り台、積み木類の玩具、児童書コーナーなどが配置されている。三々五々子供を連れたお母さん達が集まってくる。まれにおじいちゃん、おばあちゃんがいる。そのまれなおじいちゃんだったのである。職員の皆さんともすっかり顔なじみとなった。ほぼ2時間、2歳の孫は横目で確認しながらではあるが、勝手に遊んでくれる。その間本の拾い読みぐらいはできるからありがたい。若いおかあさん達を見ているのもまた楽しい。月曜休みで、無料である。
 あと頼りになっているのが、長男のアパートから車で5分の「かもめ保育所」。ここは8時半から16時まで預かってくれる。第2子誕生などで保育困難と認められる場合などで、1日1400円。「きょうから送迎を担当する富山のおじいちゃんです。孫とは相思相愛の仲です。よろしく!」と育児手帖に書き込んで笑いものになった。迎えに行くと、一目散に腕の中に飛び込んでくるのが何ともうれしい。60歳が、スキップして入っていくのである。長男家族は、これらの施設を活用しながら育児をしている。
 押しかけといっていいが、乳飲み子を抱える嫁さんの多少の助けになればと出かけていて、延べ16泊となった。妻を亡くした鰥夫(やもお)が悲壮な思いでやっているのではと思われているが、さにあらず。保育所の時は、送り届けるとそのまま高田城内にある図書館に出かけ、昼は越後名物へぎそばに舌鼓を打ち、その後フィットネスクラブで汗を流す。頼まれた買い物を済ませ、保育所へ迎えに行く。こどもセンターの時も同様で、午後は解放してもらい、「七福の湯」岩盤浴で汗を流していた。台所、料理,洗濯などは嫁の領域であり、こちらはとんと関心もなく、口出しもしない。缶ビール2本で実に慌しい夕食を済ませ、午後9時に就寝という生活だった。深夜帰宅する長男にも付き合わない。もしこれが姑であれば、こうはいかない。24時間向き合うことになり、そのストレスは双方耐え難いものになっていたことは間違いない。おじいちゃん故の効用と思っている。
 この2ヶ月余、少子高齢化の現実のただ中にいたことになる。いたいけない希望の命と、朽ち果てようとする孤独と絶望の命の狭間にあって、己が無力を見せ付けられることばかりであった。呆れるばかりの無知と耐性のなさである。しかし、わが世代にして嘆いてばかりいられないことは既に宣言している。何が何でも処方箋を描き、小さいながらもトライをして、現実にこうなるということを見せなければならない。現場では微かながら希望を語れる人材が出てきているように思う。短期間ではあるが、少子化対策と高齢化対策を縦割りではなく、現場レベルで融合させた方がいい。富山型デイケアの更なるレベルとスケールアップが必要だ。介護と医療も然り。お仕着せの少子高齢化対策では改革と称しながら、切り捨てになることは間違いない。このまま競争原理と財政効率の名のもとにエセ改革路線を容認していけば、次なる世代での社会崩壊は火を見るよりも明らかだろう。
 先日も2人目となる外資系保険に勤務する友人の娘婿の訪問を受けた。地元資本のコンビニ展開で窮地に追い込まれ、リストラを余儀なくされたという。地場である利点を最大限に生かしながらの経営を指向したのですが、資本力、商品開発力、イメージ戦略で太刀打ちできませんでした。そういう彼に、身に付けたマーケティング能力をコミュニティビジネスで生かさないか、と問いかけてみた。しばらくは外資系に身を置くにしても、いつかわが陣営に馳せ参じてほしいと思っている。
 そうなんです。ご指摘のわが陣営の構想が固まらないので焦ってもいる。もちろん構想なんぞという大それたものではなく、ちょっとした思い付きでいいと思っているのだが。

© 2024 ゆずりは通信