野党共闘の救世主

民進党大会(3月12日)での井手英策・慶応大学教授のスピーチは心揺さぶるものだった。「勝てる勝負、強い者の応援ならば、誰にだってできます。しかし、そんなものは僕にとっては全く何の価値もないことです。一介の学者に向けられた政治家の熱い思いに応えよう、もがき苦しみながらも強い者に立ち向かおうとする民進党の皆さんとともに、国民が夢を託すもう一つの選択肢をつくることができる。こんなに愉快なことがありますか。人間には、生まれたことの意味を知る瞬間があるのではないかと思います。それはまさに僕にとって今この瞬間です。学者としての命をかけるならここだ、そういう覚悟で今この場に立たせていただいております」。
 これを聞いて、何かが始まるのではないか、そう直感した。まやかしめいた薄汚いものに対抗する旗が立ったのである。彼の立場は民進党内に設けた「尊厳ある生活保障総合調査会」のアドバイザーで、前原誠司が会長を務めている。これを機会に民進党も、連合に惑わされることなく、市民に目を向けた新しい運動体に生まれ変わることである。格調高い井出イズムをもうしばらく聞いてほしい。
 「経済を成長させて、所得を増やして、貯蓄で安心を買うという、この自己責任モデルがもう破綻しているわけです。アベノミクスへの対抗軸は決して成長を競い合うことではありません。貧しい人を助けるという常識が通用しない時代がやってきています。生活不安があらゆる人間をのみ込もうとしています。自己責任のこの財政をつくり変え、分かち合い、満たし合いの財政にしていく。貧しい人だけではなく、あらゆる人々の生活を保障していく。期待できない経済成長なんかに依存するのではなく、将来の不安を取り除けるような、そういう新しい社会モデルを示してこそ、対立軸たり得るのではないのかと私は思います」。
 「僕は20年かけて、自分の学者生命をかけて作り上げた大切な理論を、言ってみれば学者としてのこの僕自身全てを皆さんにお預けしようと思っています。理由は簡単です。僕はこの日本という国が、好きで、好きでたまらないのです。自分が生まれた国だからではありません。日本がすごい国だからでもありません。家族や友人、愛する人たちが生きるこの国だからこそ、僕は日本が大好きです。大切な人たちが住むこの国を、どうか自己責任の恐怖に怯える国から、生まれてよかったと心底思える国に変えてください。人間が人間らしく生きていける社会。人間の顔をした政治を取り戻してください」。
 井出は、祭りの後の政治的な空白を危惧している。祭りとは20年のオリンピックを指す。アベはここに照準を合わせて、政治も経済もその野望のためにすべて投げ尽くすつもりだ。生活不安の国民のことなど歯牙にもかけていないだろう。不安におびえ、アベにすがるしかないとして支持した人も同様に奈落の底を見るだろう。問題は権力にゆだねることではない。主権者である自分が考え、自分で将来を想像して選択することである。その前提では、あらゆる情報が主権者に示されなければならない。民主主義の根底は情報の公開と相互批判の自由である。それを自らの権利として、不断の努力で格闘し、それぞれの尊厳を認めつつ、困難の中で選択肢をみつけ、苦しいが選んでいく。次代につないでいく。新しい社会モデルを創造していく。そんな覚悟を決めようではないですか。
 先日、すい臓がんで69歳の友人を失いました。また、昨年末起業した男は必死の努力で1000万円近い売り上げを獲得したのに、老いたる両親の介護が待ったなしで始まり、仕事を続けることができない状況に追い込まれています。希望が持てる新しい選択肢を作りあげていきましょう。最後のチャンスです。

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