面構(つらがまえ)

ノーベル物理学賞を受賞した中村修二の顔を見ていたら、「面構」という言葉が浮かんできた。徳島という辺境に育って、負けてなるかという気概を偏屈という性格に包み込んで研究を続け、いま異郷のカリフォルニアで過ごす。なるほど怒りをエネルギーに変えるそんな男の面構えである。
 10月7日、がん闘病の男から電話が掛かる。体調がすこぶるいいので、歌川国芳展に行こうと思っているが付き合わないか、というもの。こんな時は二つ返事である。生きているうちが花なのだ。高岡市美術館で11時に待ち合わせとなったが、ちょっと先に行って車椅子ルートを確認することにした。これを気取られず、さりげなくやる。友情の粋(いき)と思っている。この男、浮世絵なんかに興味を持っていたかな、という疑問も浮かんではきたが、台北の故宮博物館へぜひ行こうと約束もしていたので、それなりに納得することにした。200点を超える展示で、とても疲れた。車椅子を押してもらうがんの同輩も、精力を吸い取られるようだと途中で切り上げることになった。
 高岡市美術館は高岡工芸高校と隣り合っているのがいい。高岡工芸は富山の美大である。「駅のソバの丸井」「赤いカードの丸井」の創業者である青井忠治がここの出身で、青井記念美術館を寄贈していて、人間国宝の金森映井智をはじめ、佐々木大樹、郷倉千靱、山崎覚太郎、大角勲、藤森兼明など卒業生の作品を展示しているが、この市美術館と同じ敷地だ。また、浮世絵をパリに持ち込んだ美術商・林忠正も高岡の出身であることも忘れてならない。林忠正研究の第一人者である木々康子が著した「蒼龍の系譜」(筑摩書房、1976年)も記憶に留めておいてもらいたい。
 さて、江戸時代末期を代表する浮世絵師である歌川国芳も田舎の天才である。画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力といえるが、何かはみ出しているように見える。これは想像であるが、江戸時代の出版社といえるのが浮世絵の版元であろう。水滸伝や妖怪退治など版元の知恵者達はあらゆる企画を国芳に持ち込んだに違いない。それを自らの才能にぶち込んで描き出したのである。時に江戸幕府権力と対峙することもあった。天保の改革での質素倹約、風紀粛清だが、浮世絵も役者絵や美人画も禁止となる。幕府の理不尽な弾圧を黙って見ていられない江戸っ子国芳は、浮世絵で精一杯の皮肉をぶつける。「源頼光公館土蜘作妖怪図」だが、本当は土蜘蛛を退治するどころか妖術に苦しめられているのは頼光と見せかけ、国家危急の時に惰眠をむさぼっている幕府への批判が込められている。江戸の人々はこの謎を解いては溜飲を下げて大喜びした。
 追善絵として描かれた大判錦絵の自画像は生命力にあふれている。この面構えも大したものである。
 そして面構えといえば、片岡球子を挙げておかねばならない。葛飾北斎、東洲斎写楽などのシリーズだが迫力が違う。型破りな構成、大胆な色使いで「ゲテモノ」とも揶揄され思い悩むが、小林古径は「今のあなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重の差だ。あなたの絵を絶対に変えてはいけない」と励ました。この紙一重を乗り切ってこそ、面構えが作られていくのである。40歳になったら人は自分の顔に責任を持たねばならない。あなたも、わたしもだが・・・・。鏡を見る勇気はない。

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