シリウスの道

昨今の文学の不振は広告代理店にある、と今は亡き江藤淳が嘆いた。なぜなら、小説を書くぐらいしか能のなかった青年たちが、広告業界に吸収されるようになったからだ。コピーライターと称する職種である。30年以上も前のことだから、開高健の<人間らしくやりたいナ>や、山口瞳の<トリスを飲んでハワイに行こう>を指しているのだと思う。
 「テロリストのパラソル」で直木賞を受賞した藤原伊織は、広告会社電通の社員であった。てっきりコピーを書いているのだと思ったが、30年近い在職の大半は営業職。短期間コピーライター時代があったらしいが、上司の査定が最悪で、広告を創る表現能力の欠如を悟った。その時は、作家専業の未来など想像だにしなかった。営業というのは本筋のサービスが3割程度で、あとはいい人間関係をつくるというあいまい部分が7割。まして知性など余計なものといわれる世界。そこで作家を目指すとは並大抵ではない。営業はテレビスポットの局担当で、テレビ局に代わってスポットを売り込む作業。CM表現や舞台裏に興味はなく、そのスポット枠にどのスポンサーがはいっているかという一点にしか関心はなかった。広告扱いのし烈な競争こそ広告業界の醍醐味。それを目の当たりにしてきたが、在籍しつつ当の職場を素材にすることは仁義にもとると考えていた。鷹揚な職場で、二足の草鞋(わらじ)だろうが、現在の仕事がうまく回転していれば、他人の事は詮索しない。そんな社風だが、それでもやはり苦痛があって、02年に執筆に専念することで離職。ようやく代理店営業の話が書けるとの解放感から取り掛かったのが「シリウスの道」(文芸春秋・1800円)。有力弱電メーカーがインターネット証券という新事業に乗り出す。その際の広告プランを各社で競合する展開だが、スピード感、ヤマ場の設定、最後の「悔しくない負け方」もいい。そして底流に、25年前に大阪で輝くシリウスを見た3人の少年少女の体験が絡まる。痛快企業小説ともいえる。
 その藤原が今年2月、食道がんを宣告された。5年生存率20%未満見当の進行具合と他人事のようにいっている。というのも、早期発見されていたら、週刊誌の連載が中断されたかもしれず、不幸中の幸いと胸をなでおろすというへそ曲がり、剛直さである。物書きの業でもあるらしい。この4ヶ月で4回入院し、30日連続の放射線治療、抗がん剤治療を受けた。48年生まれだから57歳。治療しながら、無駄な時間も含め普通に生活するのが彼のスタイル。猛烈・電通で出世競争にしのぎを削る仲間を尻目に、分を心得たサラリーマン生活を送ったのであろう。そういえば新井満も電通である。
 7月16日、わが新湊小学校の還暦記念「それぞれの人生に乾杯!」同窓会を開いた。200人中70人が集った。同じ輝くシリウスを見ていた世代である。同窓生の顔を見ると、セピア色のそいつの家が浮かんでくる。床屋、質屋、八百屋、風呂や、お寺などなど。親、兄弟の顔までが、まざまざと思い出される。地域が一緒のリズムで生活していたのであろう。65年を過ぎたあたりから、それぞれの家業が立ち行かなくなって、ほとんどがサラリーマンとなった。高度成長が地域の雇用を創出してくれ、うまく産業構造の転換が図れた見事なケースだ。経済的に大学進学の覚束なかった世代が、その子息のほとんどを大学で学ばせている。われら60歳にして、上は90代を前後する父母世代、下は30代を前後する子供世代、そして生まれた間もない孫世代が続いている。ほぼ30年で世代交代が刻まれているということ。
 さすれば、ひとり陶酔し、舞い上がる小泉改革?路線は、次なる世代に何を残そうとしているのか。ここは考えどころである。郵政民営化だけを問い、その結果がすべての生殺与奪の権限を得たという論法でやられていいのだろうか。主権者であるわれわれが、政治家を使い捨てにしていいのだ。改革はなされたが、あらゆる痛みが下層なる庶民にしわ寄せされるのだけは避けなければならない。

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