「三方よし」は遠い昔か

 「久しぶりですね」という言葉に、来なければよかったという思いがした。なじみの床屋でのこと。年金生活となった友人たちはなべて格安店を利用している。3900円が1500円となるのだから、床屋は太刀打ちできない。そんなことで前回は格安店で髪を切ってもらった。浮気をしたような気分で、何となく罪の意識が芽生える。そんなところに皮肉を言われ、不愉快になってしまった。同様のことが酒屋にもある。アサヒビールに勤務している友人のこともあり、スーパードライ中瓶を愛飲していたが、寒くなったこともあり小さな発泡酒に切り替え、焼酎お湯割りを数杯嗜むことに切り替えた。その酒屋の商売熱心さは近所でも評判で、年末のあいさつと称して粗品が先日郵便受けに。これが素直に受け取れない。もうスーパードライ注文の時期ですよ、という催促に聞こえる。やはり、強制される買い物は楽しくない。ギリギリでやっている個人商店を何とかしたいと気持ちはあるのだが、義務となった消費はやはり続かない。

 失われた30年で染み付いたデフレ意識は、もう常連客を引き留めることはできない。個人商店は消費税増税もあって、止めを刺されるかもしれない。立山町で老舗の和菓子屋を引き継いでいる40歳代の友人は、その通りです。この夏場から売り上げが急減し、針せんぼでも昔の客が全く来なくなってしまった。閉店してサラリーマンになろうか、と履歴書を手元に置いています。踏ん切り時が来ているのです、と表情は深刻だ。

 はてさて、この陰々滅々の状態をどう切り抜けるか。無理だろうと思うのは、マルクスいわく賃金労働者への転落は歴史の必然という説。といって、そんな法則があったにしても、個人が生きるうえで何の指針にもならない。ここはそんな転変も受け入れて生きてみたら、どうかだ。アウシュビッツを生き抜いたフランクルの「夜と霧」を出すまでもないのだが、その方がよほど説得力がある。できれば「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よし精神に立ち戻りたい。

 床屋はまず老人施設への出張はどうだろう。洗髪抜きで3人以上であれば、料金ご随意にで、いこう。いつも孤独にしているじいちゃんと話が弾めば、意外と弾んでくれるかもしれない。店にはきょうは施設への出張で休みますと張り紙し、格安店攻勢に負けるもんかと宣言する。

 酒屋の生き残り策だが、家呑みニーズにどう応えるかだ。仕入れ先の協力を得て、ちょっと変わり種を揃えておきたい。日本酒などは銘柄にストーリーが付いている。秋田か、そういえばきりたんぽ鍋でやるかと連想がいく。ワインもTPPで意外と安い。近所のじいさんに店に立ってもらうのもいい。売り上げの10%くらいの歩合給だ。訳知り顔のあんたの市場価値を売り上げで示してくれ、と挑発しよう。コストのかからない賑わい創出にもなる。

 さて、餅屋はどうする。店で構えているだけではダメ、やはり出張販売だ。150円から300円までの取り揃えで、1個販売にこだわる。100人以上が集まるイベント会場がいい。一品だけのブランドを確立する方法もある。放生若狭屋のかりんとう饅頭の話を聞いたが、並大抵の努力ではない。ヒットすると富山駅の「とやマルシュ」から出店の声がかかる。サクセスがサクセスを生む好循環だ。

 何とかなるもんだ、で終わる前に一言。消費税は最も零細企業に打撃を与える悪税。この撤廃なしに中小個人商店は生き残れない。掛け声だけのバラマキ予算を続けるアベ政権はもう要らない。

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