快食、快眠、快通をもって三快主義と呼び、わが健康法としている。これが崩れた時は死期が近いということになろう。快食は朝食がポイントで、小カップの牛乳、ごはん、具材3つ以上のみそ汁、納豆、ハムエッグ、時に焼魚、お新香にたっぷりのお茶である。ほぼ午前7時で旅先のホテルであっても欠かさない。快眠は日野原重明が薦めるうつ伏せ寝にしてから床に入って10分前後で眠れるようになった。仰向け寝は苦手になってしまった。11時就寝、6時起床としている。
今回は、とりわけ快通についての蘊蓄としたい。快通はトイレの洋式化、ウオッシュレットの普及で随分助けられた。子どもの頃は神経質で、学校での大トイレは全く利用できなかった。極めつけは中学3年時の修学旅行であった。昭和36年の秋であるが、亡き松浦泰重先生の発案で、その頃としては珍しい5泊6日の大胆なコース。富山から高山線で浜名湖弁天島、静岡の登呂遺跡、日本平、箱根、東京では東京タワーにものぼって、九段会館で宿泊、その後は日光東照宮、帰りは上野からの夜行列車で、途中に長野の善光寺詣でをして、富山に帰った。その間、我慢をしたのだ。九段会館、日光での宿でしゃがみ込んだのだが、果たせなかった。わが生涯で唯一といっていい我慢便記録である。
洋式イレを初めて利用した記憶は昭和48年である。勤務した地方紙の東京支社社宅がそうでありがたかった。オフィスは銀座にあったので、銀座和光のトイレを愛用し、銀座界隈のトイレ事情は全部頭にはいっていた。ウォシュレットはTOTOの登録商標だが、昭和55年の発売である。わが家に導入したのは昭和60年の新築時である。その頃から、わが三快主義が快調となり、風邪、くすり無縁の生活となった。
先日亡くなった親友が入院生活で最も苦労したのは排泄である。ポータブルトイレがベッドのそばにあるのだが、4人部屋ではとても使う気にもなれない。運動不足から尿意も起こらず、いきんでみても出てこない。緩和ケア病棟に入って、ようやく看護師に摘便してもらったが、石のように硬いものだったという。人生の最終章の難関は食べることと、排泄することに尽きる。TOTOが2年前に発売したベッドサイド水洗トイレは排泄物を粉砕し、水圧を加えて2メートル余のホースでトイレに送り出すシステム。価格が約57万円と高いが介護保険が使えるようなったという。また、オムツとトイレが融合した「自動排泄処理ロボット」がある。下半身に専用カバーを装着し、尿や便が出た途端にセンサーが感知し、ホースで吸引しつつ、陰部も洗浄してくれる。これも介護保険が使えて月6000円のレンタル料と、排泄物タンクを1万円で購入することになるが、快通といっていい。
9月5日、和漢診療学の創始者で、富山大学の副学長も務めた寺澤 捷年(てらさわ かつとし)の講演会「すこやかに生きる漢方の知恵」を聞きにいった。西洋医学を縦糸とすると、漢方は横糸であり、両者の活用により次世代型医療という織物が成り立つというのが彼の主張である。東洋医学の根底には老荘思想があり、無が気を生み、生命の源となり、また無に帰すという考えだが、寺澤のいうすこやかさというのは、些末なことに拘らず、おおらかな気持ちで、つまらぬサプリなど余計な薬に依存するなということである。これを聞くと、三快主義こそ気を取り込む生の営みの原点ではないかと思えてくる。
はてさて、わが三快に加わるに、泳ぐという快泳、サウナを楽しむ快湯、ちょっと学ぶという快学があり、六快となるのだが、70歳の鰥夫(やもめ)なれど、ちょっとわくわくする快楽があって、七快主義といきたいのだが、足るを知るのだと寺澤の老荘思想が戒める。
参照/朝日新聞グローブ9月6日「トイレから愛をこめて」
三快主義